「ブックオフ社長橋本真由美の「最強の現場の創り方」」

(11)辞表を書いたこと、2回あります

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2007年2月7日(水)

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 パート主婦が中古書店の立ち上げにたまたま熱を入れた。たまたま、理解ある上司に恵まれ、順風満帆に歩んできた。

 ここまで読んでいただいた方には、こんな感想をお持ちになる方が多いでしょう。

ブックオフ社長 橋本真由美氏 (写真:鈴木 愛子)
ブックオフ社長 橋本真由美氏 (写真:鈴木 愛子)

 実は私は2度、挫折しそうになりました。2度、辞表を出したのです。

 専業主婦が2週間で仕事の魅力に取り憑かれた、というのは真実です。しかし私の中には、長年の主婦暮らしで「家族のこと」だけにとらわれる習慣が、澱のように溜まっていたのでした。

 最初の辞表を出したのは、2号店の店長になり、パートから社員になった直後でした。前回まであんな武勇伝を語っておきながら何なのですが、私はずっと、家族に迷惑をかけ過ぎていると気に病んでいたのです。

 1991年8月、社員になった私は同時に、本部の「店舗運営部課長」という役割を任されました。坂本は、会社をこれから本格的にフランチャイズ展開していこうと考えていました。社員や加盟店様の研修や開店準備のお手伝いを本部として担当するのが、私の役割です。折しもその年の11月、第1号の加盟店様がオープンする予定でした。

「オレとブックオフのどちらが大事だ?」

 「夕方5時には帰るから」との約束で始めたブックオフの仕事でしたが、約束を反故にするのは日常茶飯事。店を閉めた後に「今日中に片づけておきたい」と、ファミレスで朝方まで仕事の話をすることさえありました。

 家では、高3の長女が大学受験を控えた時期でした。主人との衝突は増えるばかり。

 「オレとブックオフ、どっちが大事なんだ」。語気を荒げ、何度も迫られました。

 「家事はちゃんとします。どうか続けさせてください」。私も必死に頭を下げました。主人も、私が生半可な気持ちで働いているわけではないとは肌で感じていたのでしょう、「辞めろ」とまでは言われなかったのが幸いでした。でも私の中の迷いが、消えたことはありませんでした。

 仕事の壁にもぶつかりました。店舗運営部で私が任された仕事の一つは、直営店全体の運営指揮。経営の実態を把握するため財務諸表や貸借対照表をまとめなければならないのですが、何がなんだかちんぷんかんぷんなのです。机に向かって商品原価は、粗利はこの計算式で出して、とやるのですが少しも頭に入らなかった。

 苦しみました。元々、扶養控除の枠内でと思って始めた仕事だし、家族に迷惑かけているし。それに数字いじりは難しい。私には仕事は無理だったんだ−−。こんな思いが浮かんでは消え、思い詰めました。

 思いあまったある日、「辞めさせてください」と坂本に封書を渡しました。

 「何これ?」。坂本は何食わぬ顔をして受け取り、中身をろくに確かめもせず目の前で引き裂きました。

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著者プロフィール

長田美穂(ながた・みほ)

ジャーナリスト 1967年奈良県生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業後、日本経済新聞記者を経て1999年よりフリーに。消費社会、性と社会問題をテーマに執筆。著書に『ヒット力』(日経BP社)『問題少女 生と死のボーターラインを揺れた』(PHP研究所)など。 



このコラムについて

ブックオフ社長橋本真由美の「最強の現場の創り方」

“ビジネスモデル”で考えると、ブックオフの仕組みは恐ろしいほど単純だ。にもかかわらず、ブックオフだけが勝ち残ってきた理由は、現場(店頭)にある。

 この連載では、ブックオフの強力な現場が作り出されるまでの経緯を、1号店の現場からたたき上げて社長に就任した橋本真由美氏が語り下ろす。同社の「育ての母」の生の声を存分にお聞きいただきたい。インタビューと構成は日経トレンディなどで活躍中のライター、長田美穂氏、写真は鈴木愛子氏が担当する。

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