(第14回から読む)
受話器の向こうの坂本(孝・当時社長、現会長)の声に、息を呑みました。
「まずい。会社がつぶれるぞ」
あの時ほど暗い坂本の声を耳にしたことはありません。原因は、1999年から始めた中古子供服ほか、婦人服、スポーツ用品など本以外の中古用品事業、リユース事業の不振でした。
役員会で報告されるリユース事業の状態は、私も知っていました。ブックオフ事業は毎月、利益を出していますがリユース事業は毎月赤字。月次決算の数字の横には、黒い三角印がずらり。役員会の席上ではいつも「ボーリングのスコア表みたい」と暢気なことを思ったりしました。役員として恥ずかしいのですが、私自身は八王子堀之内店でたっぷり利益を上げており、完全に「他人事」としてしか見ていなかったのです。
きゅうっと音がしたかと思うほど、胸が締めつけられました。これまで歩んできた会社への思いが脳裏を駆けめぐりました。
ブックオフ社長 橋本真由美氏 (写真:鈴木 愛子)
「明日、帰ります」
2001年9月、台風が福井を襲った日の夜でした。私は、福井にいる義父の手術に付き添うため、里帰り中だったのです。その夜は、集中治療室から出て蒼白になった義父の顔を見て不安で胸がいっぱいになっていました。もう床に就こう、と思ったまさにその時、坂本から電話があったのです。
広い田舎家の二十畳間で、1人ぽつねんと考え込みました。ひょっとして今この瞬間にも、坂本は自殺を図ろうとしているんじゃないか。よからぬ事ばかり思いをめぐらせ、まんじりともしませんでした。
私がやってみようか。新幹線に乗り、東京駅に着く頃にはそんな考えがむくむくとわき上がってきました。
では「橋本学校」は? 私を頼って、全国の店舗のオーナー様、店長さんが「行きたい行きたい」と言ってくださる。みなさんの頼みの綱を、放り出すなんて、果たして許されることなのだろうか。
リユース事業に対する意見は様々でした。銀行の担当者の意見でさえ分かれており、「そろそろ本業に戻ったらいかがですか」という方もいれば、「大丈夫、リユース事業はこれからです」と励ましてくださる方もいた。
精鋭3人と最不振店に乗り込みましたが…
手伝いたい。でも−−。坂本には黙ったまま、迷いに迷いました。2カ月が経ったある平日。思い切って、富士山を見に行くことにしました。富士山を見ると、なぜか私は心が落ち着くのです。昼間、1人で車を運転し、富士の麓の日帰り温泉に肩まで浸かりました。新雪をいただく山頂をのんびりと眺めていると、不思議と勇気がわいてきたのです。
「私がやってみよう」
湯から出る時には、心は決まりました。奮い立つ思いで、古淵の本社へ戻りました。
リユース事業の責任者にはすでに話をしており、「橋本さんに手伝ってもらえるなら」と歓迎してもらっていました。2人で坂本を捕まえ、「話があります」と応接室に連れ込みました。
反対だとは、坂本は言いませんでした。でも終始、苦虫を噛みつぶしたような表情でした。なぜお前がブックオフ事業を離れるのか、お前にやれるのか、等々、複雑な思いが交錯したのでしょう。
11月から私は、リユース事業の担当役員として、現場に乗り込むことになりました。堀之内店のみんなからは猛反対されました。が、「辛いけど、会社の非常事態だから」と説得しました。
最も大きな赤字を出していたのは、中古子供用品のビーキッズです。中でも最大店舗の多摩永山店のビーキッズを突破口に、ブックオフ事業の精鋭スタッフ3人を連れて、現場再生に挑むことにしました。多摩永山店は4フロア、合計1500坪の超大型店。ビーキッズ店はうち1フロア、約300坪を展開していました。
で、現場はどうなっていたかというと−−。
初日の朝礼の時。
「橋本です。みんなで会社のために頑張りましょう。よろしくお願いします」。
挨拶すると、ある女性スタッフが私に向かってきっぱりと言いました。
「私たちのやってきたことを、否定しないでください」
強烈な先制パンチでした。
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