「宋文洲の傍目八目」

父が多くを語らなかった教え

「志は四方にあり」

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2007年3月22日(木)

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 「宋さんは、お国に帰らないのですか」
 「故郷に帰られたら、きっと大変な成功者として迎えられるでしょうね」
 僕は時々、人からこう言われることがあります。その都度、どのようにお答えしようか迷います。

 「今はグローバル時代ですから、どこに住むのかはあまり問題にならなくなっています」と答えたり、「僕は成功者でも、何でもありません」と答えています。今まであまり述べたことはありませんが、僕が日本で暮らしている大きな理由は、父の教えの影響があります。

父の教えは「遠くに行きなさい」

 物心ついた時から僕は兄や弟たちと共に、父親からよく聴かされた言葉があります。それは「好児女志在四方」。翻訳するのは難しいのですが、直訳すると「良い子には志が四方にあり」、つまり良い子供は遠方を目指せというニュアンスの言葉でした。

 父の教え通り、長女である姉は18歳の時に単身でシルクロードの奥地である新彊に行き、次女の姉も長女を追いました。兄である長男はシベリアに近い黒龍江省に行き、次男の兄も行きました。僕は8歳の時に新彊に行き、17歳の時に東北の大学に通い、21歳の時に日本に来ました。7人の兄弟のうち、1人の姉だけが生まれ故郷に残りました。この姉は今も、自分だけどこにも行かなかったことを残念がっています。

 父は子供が家を離れるためなら、貧乏の中でも用意できるものは何でも揃えてくれました。ただ黙々と集め、静かに送り出すのみでした。兄や姉が旅立つ時、父は母と共に涙を流していました。その両親を旅立つ兄や姉が慰めていた光景を、僕は今も忘れません。

 特に理由を聞かされませんでしたが、父からは、「ともかく遠くに行きなさい」と教えられました。こうした父の方針に、母は何も言いませんでした。しかし、母親です。秋風が枯れ葉を吹き落とすと、「○○の布団が薄くないかねぇ」と寂しそうな表情をし、おいしいものを食べた時などは「△△も、ちゃんと食べているかしら」と、どこか申し訳なさそうにしていました。

 北朝鮮の国境の近くに住んでいた頃、国境線の川の上を水上バスが走っていました。乾いたディーゼルエンジンの音が聞こえると、母親はよく「お姉ちゃんが帰ってくるかも」と言って、僕を連れて船を見に行きました。

 子供たちは皆、数千キロも離れたところで暮らし、帰省するための旅費も十分にない時代でしたから、家族が顔を合わせるのはそれこそ10年待ってようやくという状態でした。子を思う母の気持ちは、まだ幼かった僕にもよく分かりました。

 心配する母に、父は時折、「大丈夫。子供たちは元気に暮らしているよ」と慰めました。すると母はたまに「あんたには親心がないのか」とストレスを爆発させたことがありました。

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著者プロフィール

宋 文洲(そう・ぶんしゅう)
ソフトブレーン
マネージメント・アドバイザー

そう・ぶんしゅう

1963年6月中国山東省生まれ。84年中国・東北大学を卒業後、日本に国費留学する。90年北海道大学大学院工学研究科を修了。天安門事件で帰国を断念し、日本で就職したが、勤務先が倒産。92年ソフト販売会社のソフトブレーンを創業し、代表取締役社長に就任、99年2月代表取締役会長に。2000年12月に東証マザーズ上場、2005年6月に東証1部上場を果たす。2006年1月代表権を返上し取締役会長に、同年8月31日、「もう1人の社長」「陰の実力者にならない」として、取締役会長を辞任し、マネージメント・アドバイザーに就任する。(写真:川口 愛)



このコラムについて

宋文洲の傍目八目

日本人が意外と気づかない視点を、『ここが変だよ日本の管理職』『やっぱり変だよ日本の営業』などの著書でおなじみのソフトブレーンのマネージメント・アドバイザーである宋文洲氏が独特の切り口で紹介します。

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