「宋さんは、お国に帰らないのですか」
「故郷に帰られたら、きっと大変な成功者として迎えられるでしょうね」
僕は時々、人からこう言われることがあります。その都度、どのようにお答えしようか迷います。
「今はグローバル時代ですから、どこに住むのかはあまり問題にならなくなっています」と答えたり、「僕は成功者でも、何でもありません」と答えています。今まであまり述べたことはありませんが、僕が日本で暮らしている大きな理由は、父の教えの影響があります。
父の教えは「遠くに行きなさい」
物心ついた時から僕は兄や弟たちと共に、父親からよく聴かされた言葉があります。それは「好児女志在四方」。翻訳するのは難しいのですが、直訳すると「良い子には志が四方にあり」、つまり良い子供は遠方を目指せというニュアンスの言葉でした。
父の教え通り、長女である姉は18歳の時に単身でシルクロードの奥地である新彊に行き、次女の姉も長女を追いました。兄である長男はシベリアに近い黒龍江省に行き、次男の兄も行きました。僕は8歳の時に新彊に行き、17歳の時に東北の大学に通い、21歳の時に日本に来ました。7人の兄弟のうち、1人の姉だけが生まれ故郷に残りました。この姉は今も、自分だけどこにも行かなかったことを残念がっています。
父は子供が家を離れるためなら、貧乏の中でも用意できるものは何でも揃えてくれました。ただ黙々と集め、静かに送り出すのみでした。兄や姉が旅立つ時、父は母と共に涙を流していました。その両親を旅立つ兄や姉が慰めていた光景を、僕は今も忘れません。
特に理由を聞かされませんでしたが、父からは、「ともかく遠くに行きなさい」と教えられました。こうした父の方針に、母は何も言いませんでした。しかし、母親です。秋風が枯れ葉を吹き落とすと、「○○の布団が薄くないかねぇ」と寂しそうな表情をし、おいしいものを食べた時などは「△△も、ちゃんと食べているかしら」と、どこか申し訳なさそうにしていました。
北朝鮮の国境の近くに住んでいた頃、国境線の川の上を水上バスが走っていました。乾いたディーゼルエンジンの音が聞こえると、母親はよく「お姉ちゃんが帰ってくるかも」と言って、僕を連れて船を見に行きました。
子供たちは皆、数千キロも離れたところで暮らし、帰省するための旅費も十分にない時代でしたから、家族が顔を合わせるのはそれこそ10年待ってようやくという状態でした。子を思う母の気持ちは、まだ幼かった僕にもよく分かりました。
心配する母に、父は時折、「大丈夫。子供たちは元気に暮らしているよ」と慰めました。すると母はたまに「あんたには親心がないのか」とストレスを爆発させたことがありました。
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