(第17回から読む)
1999年の経営計画発表会、約400人をお招きした会場で、坂本の「上場宣言」を受け、当時の主幹事証券会社の方がマイクを握って、言い放ちました。
「みなさん、いいことを教えましょう。株式を公開するということは、役員や社長が一儲けすることですよ」
彼の言葉に、会場は水を打ったように静まりかえりました。
私たちの考えとは、違う――。
咄嗟に、坂本を見ました。坂本の顔も、凍り付いていました。
私たちは日頃から、社員やスタッフさんの幸せのために会社はある、現場に報いるために上場しよう、と言い続けてきました。
なのに証券会社が、私たちの理念を真っ向から否定したのです。
私は閉会の辞を任されていました。まもなく、番が回ってくる。会場の真ん中のテーブルにいる坂本に「違う、と言っていいですか」と聞きたくても、端にいる私の席からは遠くて動けません。
震えながら、マイクの前に
ブックオフ社長 橋本真由美氏 (写真:鈴木 愛子)
主幹事会社の言うことを、私なんかが否定して、いいのだろうか。そのせいで、また上場が遠のいたらどうしよう。「退職」という言葉が、頭の中に浮かびました。
でも、それとこれとは、話が別!
「みんなが幸せになるための公開」という理念を否定されたのだから、会社を去ることになっても悔いはない、と。
意を決し、震えながらマイクの前に立ちました。
「公開とは、役員や社長が儲けることではない、と私は思います!」
次の瞬間、大きな拍手が開場から沸き起こったのでした。
まん前のテーブルにいる坂本が、泣いているのが壇上から見えました。来賓の方々も、深く、何度もうなずいていました。
「本日はお越し頂き、ありがとうございました」と締めの言葉を終えると、会場にいた社員、スタッフさんたちが駆け寄ってきました。
「橋本さん、よく言ってくれました」。何度も何度も、握手を求められました。
翌日、坂本は主幹事会社の幹部を会社へ呼びました。
そして謝っていただいた後、私を見て言いました。
「橋本さん、これでいいか?」
幸せな気持ちになりました。
命をかけてこの会社のために働こう。改めて痛感した瞬間でした。
上場準備で疲労していく社内
主幹事会社を替え、気を取り直して株式公開への再挑戦が始まったのですが、案の定、社内は再び疲弊し始めました。
坂本も苦しんでしていたのでしょう。ずっと思い描いてきた会社の方向と、その通りに動けないもどかしさで
「オレは上場なんてしなくていいんだ!」と、机を叩いて叫んだものです。
「創業から育ててきたものを踏みにじられるなら、上場は諦める」
振り絞るように、低く言いました。
なぜ、あるがままのブックオフのよさが受け入れられないのか。
私も悩みました。そして揺らぎました。たとえば組織の形について。ブックオフの特徴は、組織がフラットなことなのです。係長の上に課長、次長、部長、事業部長がいて、何かを決めるには稟議書に判が5、6個必要で、といった組織ではないのです。
気がついた人が、動く。だから加盟店担当だった私が、全然自分と関係のない「リユース事業」に飛び込んでいく、といった動き方ができた。それは坂本の言葉を借りれば、「キャッチャーが外野フライを捕りに行くようなもの」。でも私だけではなく誰もがその動きを心得ているから、ブックオフでは「ポテンヒット」は起こらない。それが私たちの誇りなのです。
でも証券会社に色々指摘されているうちに、はたしてこれが上場企業の組織にふさわしいのか何が正しいのか、分からなくなってきたのです。
「人の育て方」こそが強さ。しかし数字には出ない
「御社の強みはなんですか」と聞かれ、「人間力です」と説明してもまるで理解されず歯ぎしりしました。私たちのフランチャイズ方式は、コンビニとは違って、本部による商品の供給を伴いません。私たちが加盟店さんにお伝えするのは、売れる店を作るためのノウハウだけ。
そのノウハウとは、「人の育て方」に尽きます。人を育てられる人が店を任されれば繁盛店になる。その能力のない人が店長に就いた店は決まって不振店になる。「だから、人間力なんです」。私は理は通っていると思うのですが、証券会社の方々は「人間力、それは分かりました。ではそれ以外には?」と来る。
それに私たちの会社では、人事評価も「数字至上主義」ではありません。「3期連続して売り上げトップだった店長が表彰される」といった人事評価は絶対に行いません。ブックオフの評価は、「人をどれだけ育てたか」。
あの店からは誰が育った、数字を上げているあの人は誰の元で鍛えられた――。これが私たちの多店舗展開の機動力となる、人材の評価方法なのだと、私たちは自信を持っています。でもいくら説明しても証券会社の方々には、理解されない。もどかしさが募るばかりです。
もちろん証券会社の方々も、真剣でした。
「『坂本商店』から公の企業に生まれ変わるため、今は辛くても、この山を乗り越えて下さい」と何度も言われました。書類を作っては押し返されてを繰り返しました。あの作業は、私にとっては社会における企業の存在意義とは何かを考える「修行」のようでした。
鳴らない、電話
2004年2月9日。午前8時から始まる運営会議の間に、東証から「上場承認」の連絡が入るはずでした。私たちは準備万端、専務の栗山が入り口に陣取って、連絡を待っていたのです。でも、会議が終わっても電話が来ない。次の会議に突入しました。全国の社員が集まる店舗会議です。
何かあったんだろうか。ここまでやって、もしや承認されなかったらと思うと、私は居ても立ってもいられない思いに駆られていました。
審査のため何度となく東証に通った記憶が脳裏をよぎりました。
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