「宋文洲の傍目八目」

宋文洲の傍目八目

2007年4月12日(木)

「人生は設計できるものではない」

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 我々はよく「人生設計」という言葉を使います。しかし、設計通りになった人生はどれほどあるでしょうか。「夢」で終わる設計もあれば、思いもよらない大成功の設計ミスもあると思いませんか。

 エベレストにも登頂したチベット人登山家のクンガ・パサン氏は「人生は設計できるものではない」と言っています。彼は自分の成長、結婚、職業そして生死がいかに偶然な出来事によって左右されているかをメディアに素直に打ち明けています。

 ある時、彼はわずか数センチを踏み外したことで深い氷雪の谷に落ちました。もう死んだと誰もが思っていましたが、10日後、彼は奇跡的に救助されました。「10日間、どうやって過ごしましたか」と聞かれた彼は「映画のように、これまでの人生を思い出してみた。すると、自分の人生の多くは、偶然の結果だと気づきました」と言いました。

チベット登山家の実話

 例えば結婚もそうでした。彼と現在の奥さんとの結婚も、考えてみれば偶然でした。

 結婚前、パサン氏は一度、他の女性と結婚するところでした。結婚式の日取りまで決まるところまでいきましたが、結婚相手の父親が娘を嫁にやる条件として、さらに1枚の毛皮を求めてきたため、両家が折り合えなくなり破談となりました。1枚の毛皮によって、結婚相手が現在の奥さんに替わってしまったのです。

 今の奥さんとも、一度は離婚を決めたこともあります。その翌日、離婚手続きするために家から十数キロ離れた役所に行く予定でしたが、ちょうどその時に数年に1度の大雪が襲い1週間も道が塞がれました。その間に、2人は離婚の意思を失いました。

   婚姻だけではなく、生死も偶然の結果だとパサン氏は考えました。パサン氏は幼い頃から何度も、命を落としかけたのを、偶然に救われたことがありました。

 3歳の時、パサン氏は原因不明の高熱に襲われました。医者にはお手上げと、見放されました。2週間も熱が下がらない状態に、医者は「もう長くない」と宣言しました。その翌日にもう1人の子供が入院してきました。この子供は高熱であると同時に、病状が激しいため、ある種のウイルスに感染していると診断されました。

 担当医師はパサン氏も同じウイルスに感染しているのではと思い処置を施したところ、熱は収まりました。病状がはっきりしている子供が入院してこなければ、恐らくパサン氏は少年になる前に人生が終わったはずです。

 ところが少年の頃にも、死にそうになりました。7歳のある日、川で溺れそうになりました。必死に叫んでもお昼ごはん時で、川岸に誰もいませんでした。これで終わりだと思った頃、泳ぎ上手な村人が突然に川岸に現れ彼を救い出したのです。後で分かったのですが、その村人は、昼食の時にたまたま奥さんと口喧嘩し、怒りを静めるために食卓を離れて川岸に散歩に出かけてきたのです。

 この村人がたまたま昼ごはんの時に奥さんと喧嘩しなければ、パサン氏は青年になる前に死んだはずです。

 ところが青年になってからも、間一髪で命が助かった経験をしました。20代前半のある日、パサン氏は汽車に乗って旅しました。トイレに行きたいと思って入ろうとしたら、他の人が入っていました。しばらく待っても出てこないため、彼は他の車両のトイレに行きました。

 その間に汽車が事故を起こし、最も死者を出した車両は、最初のトイレに行こうとした車両でした。最初のトイレでパサン氏より先に入った人も、亡くなりました。その人がたまたまパサン氏より早くトイレに入ったがために、パサン氏は生き残りました。

留学先が日本だったのは偶然だった

 チベットという厳しい自然環境で、しかも経済状況も異なる社会で過ごしてきたパサン氏の人生は、極端な例に映るかもしれません。しかし、日本でも例えば自動車事故では毎年、1万人近い人が亡くなっている中で、ほとんどの人は毎日、自動車に乗るか、すれ違ったりしています。地震や台風などの天災で被害を受けることもあります。技術の進歩で事故や被害を減らす取り組みはなされていますが、先進国の日本であっても常に死と隣り合わせにいると言えなくもありません。

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著者プロフィール

宋 文洲(そう・ぶんしゅう)
ソフトブレーン
マネージメント・アドバイザー

そう・ぶんしゅう

1963年6月中国山東省生まれ。84年中国・東北大学を卒業後、日本に国費留学する。90年北海道大学大学院工学研究科を修了。天安門事件で帰国を断念し、日本で就職したが、勤務先が倒産。92年ソフト販売会社のソフトブレーンを創業し、代表取締役社長に就任、99年2月代表取締役会長に。2000年12月に東証マザーズ上場、2005年6月に東証1部上場を果たす。2006年1月代表権を返上し取締役会長に、同年8月31日、「もう1人の社長」「陰の実力者にならない」として、取締役会長を辞任し、マネージメント・アドバイザーに就任する。(写真:川口 愛)


このコラムについて

宋文洲の傍目八目

日本人が意外と気づかない視点を、『ここが変だよ日本の管理職』『やっぱり変だよ日本の営業』などの著書でおなじみのソフトブレーンのマネージメント・アドバイザーである宋文洲氏が独特の切り口で紹介します。

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