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回転寿司の「銚子丸」、経営方針の大転換で急成長

  • サンブックス 常名 孝央

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2007年5月10日(木)

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 大阪に日本初の回転寿司が誕生したのは1958年。かつて「寿司」は高級な食べ物の代名詞だったが、回転寿司は「1皿いくら」という固定価格で安心感を生み出し、庶民の圧倒的な支持を得るようになった。最近では店舗の大型化、寡占化が進み、生き残り競争は激化している。

 そんな中、地元の千葉県を中心に東京、埼玉の一部地域のみで事業を展開し、業績を伸ばしている企業がある。銚子丸だ。1977年の創業以来、着実に店舗数を増やし、2006年には40店舗を達成。そして2007年3月にジャスダックへの上場を果たした。

 「グルメ回転寿司」を標榜する銚子丸の店舗は、さながら郊外型ファミリーレストランといった印象だ。店内はいつも小さな子どもからお年寄りまで大勢の人で賑わっている。カウンターの前を寿司が回っているのは他の回転寿司チェーンと同じだが、昼時にはあら汁のお椀が出され「サービスです。お代わり自由ですのでどうぞ」と声を掛けられる。そして寿司をつまむと、ネタの大きさと厚さ、その鮮度に驚かされる。客単価はおおむね1600~1800円とリーズナブルだが、決して「回らない寿司屋」に引けは取らない。

 銚子丸は「舞台」の雰囲気を感じさせる店である。銚子丸ではスタッフを「劇団員」と位置づけている。団員たちは「銚子丸一座」の舞台で “観客”を精いっぱいもてなすのだ。そして芝居小屋よろしく、店内には経営理念が染め抜かれたのぼりが立つ。そこには「お客様の満足が私達の喜びです」で始まり、最後は「どうかご叱責ください」で締めくくられている。

独立して玩具店でスタートしたが

 多くのファンを抱える銚子丸だが、堀地速男社長がこのスタイルを確立するまでには長いドラマがある。

図版

掘地速男(ほりち・はやお)社長
1941年生まれ。64年6月協同組合日本セルフチェーン入社。77年、オール設立。2005年、銚子丸に名称変更。2006年9月チェーン48店舗達成(写真:乾芳江)

 農家の次男として生まれた堀地社長は、小学校高学年の時には既に「いつかは自分で商売をする」と決めていたという。学校の行き帰りに空き地を見ては、「どうして何かに利用しないのだろうか。もったいないなあ」と、商売に思いを馳せてしまう子供だった。中学校に進む頃には、「サラリーマンにはなりたくない。一国一城の主になりたい」と友人らに熱く語り、起業への夢を膨らませていたという。

 20歳になると、陽明学者の安岡正篤氏が催す勉強会「照心講座」に頻繁に赴いては、一番前の席で熱心に聞き入り、四書五経や人物論などを受講。人生で大切なことは「熱い思いを持つことである」と学んだという。「私は元来不器用で、上手に生きていくタイプではないと思っていたが、先生の話を聞くにつけ、自分も何かができるかもしれないと非常に元気づけられた」(堀地社長)と、当時を振り返る。

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