僕は謙虚な方々とたくさん出会いました。謙虚さは彼らの言動から自然に滲み出し伝わってくるものです。本人たちが謙虚を意識していないからこそ謙虚なのです。
一方、いつも口で「謙虚」を説く偉い方々がいます。顧客に「我々は謙虚を大切にしているのだ」と語り、「この偉い私と立派な我が社が謙虚だ」と示唆します。部下に「謙虚であれ」と説教し、「俺と組織にもっと従順であれ」と暗示します。
謙虚――。今回はこの極めて東洋的で人格の基本に関わることについて皆様とその本質を探ってみたいと思います。
2人の社長の「謙虚」
ある日、偉い経営者(少なくともご本人たちがそう思っている)が集まる権威のクラブのイベントに誘われました。食事会を挟みながらある社長の講話を聞くことになりました。配られたプログラムには講話時間が30分、講話テーマが「謙虚の心」であると書いてあります。
その社長は結局予定時間を大幅にオーバーし、45分間以上の大演説をし、司会の再三なる合図でやっと未練たっぷりの様子で演台を降りました。100人以上の聴衆の貴重な時間を15分間も無駄に占有して説教をたらした人が「謙虚の心」を説くとは皮肉でした。
先週の「傍目八目」で製造業への偏重について問題提起させていただきましたが、実はその直後に討論会に出席しました。メーカーの社長がいて、彼は社員教育に常に「謙虚」を重視していると語っていました。
僕はGDP(国内総生産)の8割が既に非製造業ですから、非製造業の強化にもっと力を振り分けるべきだといういつもの論点に触れました。討論会の後、その社長が僕に「宋さん、非製造業はたしかにGDPの8割を占めますが、非製造業は単なる金や物を転がしているだけです」と言われました。
僕はすぐ「社長、ビジネスの視点から見れば、製造業も転がしているだけです。原材料、部品、そして人材を転がして商品を売り、利益を手にしています。ビジネスの本質はコストを使って利益を創出することですから、製造業も非製造業も大きく変わりませんよ」と反論しました。
しかし、僕が本当に言いたかったのは「あなたは謙虚を説きましたが、自分以外の産業を蔑視することは、明らかに傲慢ではありませんか」でした。
謙虚は語ってなるものではない
謙虚という言葉は誰でも早く覚えてしまいます。しかし、謙虚の心はそう簡単に持てません。特に偉くなるとそれが難しくなります。
ではなぜ偉くなると、謙虚ではなくなるのでしょうか。それはもともと誰でも謙虚ではないからです。弱い立場にふさわしい振る舞いしているだけで誰もが謙虚に見えるのです。偉くなると同じくその立場にふさわしい振る舞いをするだけで急に「不謙虚」に見えてしまいます。
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