「宋文洲の傍目八目」

北朝鮮との国境に行ってきました

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2007年6月14日(木)

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写真1

 皆さんが4人の脱北者が船で日本に逃れて来たことに驚いている間に、僕は彼らの国との国境に行ってきました。40年前、文化大革命の嵐から逃れるため、僕が親に連れられ内陸の山東省から逃れて来た場所です。

 僕が5年間住んでいた家は国境の河、鴨緑江に面する急斜面に家族が建てました。写真の僕は我が家のあった場所から数十メートル下に降りたところに立っています。対岸は北朝鮮です。

逃亡先は桃源郷

 僕の家族は文化大革命で酷いいじめに遭ったため、国境の無人区を目指して夜逃げしました。住民が少なく政治闘争がないからです。遠い親戚が、そこに住む三叔(サンスウ)の一家を紹介してくれました。

 僕たち一家は数日かけてSL(蒸気機関車)列車で国境に近い駅まで乗り継ぎました。さらに駅からは馬車に乗り換えて目的地まで移動しました。国境に近い村に着いた時はもう夜でした。

 その先は道がないため、僕たちは月の光を頼りに凍りついた国境の川、鴨緑江を歩き続けました。道中はとても寒く、サンスウの家にたどり着いた時には、8歳の姉の足に着いた雪は、氷の塊に変わっていました。小さな僕を包んだ薄い布団も濡れて凍ったそうです。

 母が滑って転倒した時、僕は氷の上に投げ出されました。泣き声を頼りに見つかった僕は、漁師が直前に開けた釣穴から数センチの所にいたそうです。その穴に落ちたら僕は今こんな記事を書いていませんが。

 サンスウから一間の部屋と一冬の食料を借りました。春になると僕の家族は総出で農地を開拓し、自分たちの小屋を建てました。僕の記憶は家族が土壁を作っている風景から断片的に始まりました。

 1年も経つと我が家の農地からは収穫が上がり豚や鶏などの家畜も育ちました。僕ら兄弟たちの一番の楽しみはサンスウの家からもらった犬の赤ちゃんでした。父が水担ぎのついでに小さな彼を抱いて帰ってきたことは今も鮮明に覚えています。彼は実によく食べて、すぐ僕よりも大きくなりました。

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著者プロフィール

宋 文洲(そう・ぶんしゅう)
ソフトブレーン
マネージメント・アドバイザー

そう・ぶんしゅう

1963年6月中国山東省生まれ。84年中国・東北大学を卒業後、日本に国費留学する。90年北海道大学大学院工学研究科を修了。天安門事件で帰国を断念し、日本で就職したが、勤務先が倒産。92年ソフト販売会社のソフトブレーンを創業し、代表取締役社長に就任、99年2月代表取締役会長に。2000年12月に東証マザーズ上場、2005年6月に東証1部上場を果たす。2006年1月代表権を返上し取締役会長に、同年8月31日、「もう1人の社長」「陰の実力者にならない」として、取締役会長を辞任し、マネージメント・アドバイザーに就任する。(写真:川口 愛)



このコラムについて

宋文洲の傍目八目

日本人が意外と気づかない視点を、『ここが変だよ日本の管理職』『やっぱり変だよ日本の営業』などの著書でおなじみのソフトブレーンのマネージメント・アドバイザーである宋文洲氏が独特の切り口で紹介します。

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