「宋文洲の傍目八目」

失うことの重要性

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2007年6月21日(木)

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 神が人々を幸せにするために、天界から降りてきました。失明した人は神に「私は、愛する家族の顔も綺麗な夕日も見たことがありません」と訴えました。神が彼に視力を与えると、彼は幸せになりました。

 「私は凍土の上でも炎天下でも労働を厭いませんが、働くための土地は洪水に流されました」と訴えた農民には神は農地を与えました。農民は幸せになりました。

 貧乏な青年がやって来て言いました。「神様、私にはお金がなく家族も持てません」と。神は彼にお金と美しい妻、可愛い子供を与えましたが、青年は暗い顔で「神様、私には才能もありません」とさらに訴えました。すると神は彼に才能も与えました。

 数日後、青年はまたやってきてとうとう言いました。「神様、私には幸せがありません。ください」と。

 神は少々躊躇された後、「(幸せを)与えよう」と言って、これまでに与えたすべてのものを取り消しました。その結果、青年は一人ぼっちのホームレスになり、飢餓と悲しみと孤独に暮れる日々を送ることになりました。

 2年後、神は青年に家族だけを返しました。すると青年は「私は幸せだ!」と号泣しながら妻と子供を抱きしめました。

失って幸福を得る

 小さい頃、大人からこの言い伝えを聞いた時は、単純に青年の貪欲さに憤慨を覚えました。しかし、今は考えが変わりました。彼は失うことを経験していないから、幸せになれなかったのです。

 事故や重病から生還した人の話を聞くと、明確な共通点を感じます。それは生への喜びです。ただ生きているだけで、幸せなのです。生きていること自体が感謝すべき出来事なのです。

 些細なことで自殺する今日の日本には、十分に幸せなはずなのに幸せになれない人々が、大勢います。理由は簡単です。失う経験がないからです。得ることは当然であり、足りないことを不幸と考えるのです。その足りないことは、他人との比較によって常に作り出しているのです。だから常に不幸なのです。

 これだけ快適な社会に進化してきたのに、自殺者がかえって増えたのは政治や教育のせいだという論調がありますが、僕はこれに同意できません。外部にどんな素晴らしい環境があっても、人の内側に幸せな心を与えることはできません。

 「幸せを与える」という表現があるものの、その言葉の本来の意味は、幸せを感じる力のある人に対して、その条件を与えるという意味です。幸せ自体は本人の心で感じ取り、そして解釈するものです。

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著者プロフィール

宋 文洲(そう・ぶんしゅう)
ソフトブレーン
マネージメント・アドバイザー

そう・ぶんしゅう

1963年6月中国山東省生まれ。84年中国・東北大学を卒業後、日本に国費留学する。90年北海道大学大学院工学研究科を修了。天安門事件で帰国を断念し、日本で就職したが、勤務先が倒産。92年ソフト販売会社のソフトブレーンを創業し、代表取締役社長に就任、99年2月代表取締役会長に。2000年12月に東証マザーズ上場、2005年6月に東証1部上場を果たす。2006年1月代表権を返上し取締役会長に、同年8月31日、「もう1人の社長」「陰の実力者にならない」として、取締役会長を辞任し、マネージメント・アドバイザーに就任する。(写真:川口 愛)



このコラムについて

宋文洲の傍目八目

日本人が意外と気づかない視点を、『ここが変だよ日本の管理職』『やっぱり変だよ日本の営業』などの著書でおなじみのソフトブレーンのマネージメント・アドバイザーである宋文洲氏が独特の切り口で紹介します。

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