「神谷秀樹の「日米企業往来」」

円安を問題視しない日本の問題

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2007年8月8日(水)

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 1984年、住友銀行(現・三井住友銀行)の部長代理だった私は米国の投資銀行、ゴールドマン・サックスに誘われて転職し、ニューヨークにやって来た。当時の為替レートは1ドル280円だった。この為替レートで円換算すると、ゴールドマンの年俸は銀行時代の数倍になり、自分をこれほど高く評価してくれる会社があるのかと感動したのを覚えている。

 その一方で、私が米国に持って来ることのできた全財産は、住銀で9年働いて得た退職金、マンションを売って戻ってきた頭金、そして貯金を合わせて2万8000ドルに過ぎなかった。胸は希望ではちきれんばかりだったが、財布の中は寂しい限りだった。米国生活も落ち着いた頃、日本はバブルを迎え、為替レートは1ドル80円台と超円高になり、日本人の1人当たりGDP(国内総生産)は1990年に世界一になった。

 それから20年近くたった現在、円ドルレートは、1ドル120円弱。この20年間に円の対ドル価値は大きく変遷した。そのドルの価値も、ユーロ対比で大きく変化した。ユーロ紙幣が流通し始めた時、1ユーロは1ドル。そして1ドルが100円だった。100円を新1円にデノミすれば、1ドル=1ユーロ=新1円になると言われたものである。

 ところが1ユーロは、対円で170円近くに達しようしている。ユーロが台頭する一方で、日本の1人当たりGDPも世界14位まで落ちた。

「生産性が低いから」、にかつて覚えた悔しさ

 私の父は、大蔵省でエコノミストをしていた。その父に、子供の頃「日本は外国と比べると何でこんなに舶来品が高く、日本人のお給料は安いの?」と尋ねたことがあった。父は私にこう答えたのを覚えている。

 「それは『生産性』というものが違うからだ。生産性は同じ時間に働いて生み出すことのできる財やサービスの価値のこと。残念ながら日本人の生産性は、アメリカ人よりまだまだ低いのだよ」。当時1ドルは360円。幼心にも悔しかった。

 そんな思いがかつてあったことから一時、1ドル80円をつけ、1人当たり国民所得が世界1位になった時は、日本の輸出産業が打撃を受けると心配はあったものの、どこか誇らしく感じた。しかし、現在は120円近辺をウロウロとしている状況で、これは最高値ピークに比べれば50%の下落である。

 果たして、この水準は日本人の生産性を反映した公正な値なのだろうか。日本、米国そして欧州を旅する旅人の感覚からすると、1ドル=1ユーロ=100円が実感としてはふさわしい水準に思える。

円高阻止で抱えた米国債が円高で価値目減りする皮肉

 日本政府はかつて円高時代の為替介入で買った米国債を抱え込んでいる。日本の外貨準備高は約110兆円。このうち約35兆円が「円高阻止」のため市場介入して買い込んだものだ。さらに日本の家計が買い込んだ海外金融資産は、外貨預金、変額保険、外貨建て投資信託など約40兆円になる。これらは円高に振れれば、資産は目減りする。円高阻止で抱えた米国債が円高で価値目減りするのはなんども皮肉だ。

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著者プロフィール

神谷 秀樹(みたに・ひでき)
ロバーツ・ミタニLLC創業者兼マネージング・ディレクター

神谷秀樹

1953年東京都生まれ。小学校時代をタイで過ごし、75年早稲田大学政経学部経済学科卒業後、住友銀行入行。ブラジル・ミナス・ジェライス連邦大学留学を経て、84年ゴールドマン・サックス証券に移籍。92年に日本人では初めて米国で投資銀行の「ミタニ&カンパニー・インク」を設立、95年に「ロバーツ・ミタニLLC」に社名変更。米国在住。著書に『ニューヨーク流たった5人の「大きな会社」』『さらば、強欲資本主義』(いずれも亜紀書房)『強欲資本主義 ウォール街の自爆(文春新書)、共著に『世界経済はこう変わる』(光文社新書)がある。これまでに大阪府海外アドバイザー、フランス国立ポンゼショセ大学国際経営大学院客員教授などを兼務。

(写真:丸本 孝彦)

ロバーツ・ミタニLLCのサイトはこちら



このコラムについて

神谷秀樹の「日米企業往来」

日米の巨大金融機関で勤務した後に、顧客と投資家と投資銀行家の3者の利害が一致する投資銀行を実現したいと一人で投資銀行を設立した筆者。日米の企業風土や人生の価値観などを指摘する。

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