「伊東 乾の「常識の源流探訪」」

崖っぷちの広告代理店ポリティクス

「情報被曝」の責任はどこに?

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2008年9月12日(金)

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 突然ですが、「選挙」と「相場」それに「競馬」に共通する要素って、何だと思われますか? 

 私の準備した解答は「人気」と「嫌気」を巡る駆け引きというものです。いまさら申すまでもなく、株式市場は心理戦の駆け引きで大きく動きます。競馬に限らず競輪でもオートレースでも、公営競技全般が、競技と同様かそれ以上に、心理戦の駆け引きで動きます。また競技も選挙も「投票」で数字が動く。これらすべて、腹芸で賭けに出ることもできますが、系統だって扱うアプローチも存在します。それは何か? 

 「人気」や「嫌気」の「単位」は何でしょうか? おのおの単位は「1票」で、売り買いも含め、これらは「度数」ですから「1ディジット[digit]」と数えられます。もしこれを○×式(2値論理)で考えれば「2進度数Binary Digit=bit」=「1ビット」で数えられるわけですから…選挙も相場もギャンブルも、すべて共通して情報科学で考えると、クリアに見通しが立ってくる部分があります。

選挙前提の「メディアジャック」

 ここで面妖な数式を捏ねくりまわす考えはありません。また数値を導く定量解析なども私の力の及ぶ範囲外で、むしろ読者に専門家が多数おられると思いますので、ご意見をお伺いしたく思っています。このコラムは問題の構造を大枠から確認することに主眼を置いています。というのも、それだけで、ずいぶん見通しがよくなることが多いからです。

 アカラサマに言うと身も蓋もありませんが、今日、選挙というのは、つまるところ「人気取り」にほかなりません。

 民主党の議員たちから「今回の福田退陣は自民党によるメディアジャックだ」という声が上がっています。 実際、自民党の総裁候補乱立で、民主党党首選などどこかにすっ飛んでしまいました。これから数カ月の見通しとして、自民党総裁選→新首相選出→解散、総選挙という推移が見込まれています。

 テレビで「大勲位」中曽根康弘氏が「誰もがテレビに出ることばかり考えている。これは政治の放棄だ」と現状批判していました。その発言もテレビで見たので、なんとも不思議でしたが、確かに総裁候補はもとより、推薦者などとしても政治家がしきりとテレビ画面に出たがります。

「今回の総裁選以上に、その後の選挙のための露出だ」という指摘もある。そうしたことが、民主党議員の「自民党のメディアジャック」という批判に繋がっている。

「テレビポリティクス」でよいのか?

 テレビなどメディアを用いた政治手法というと、すぐに小泉純一郎さんの名前が挙がります。前回もリンクした御厨貴さんの「小泉改革が“ぶっ壊した”強靭な首相」では「テレビポリティクス」という表現が使われています。当該部分を引用してみましょう。

「1990年代からテレビを利用したテレビポリティクスは見られました。ただ、小泉さんは自ら主導権を取り、テレビポリティクスを押し進めた。議会の中では多数派ではないが、世論をうまく使うことで自分の政策を実現してきたわけです。郵政民営化はその典型でした。テレビをうまく使う小泉方式はうまくいけば、魔術のようにすさまじい効果が得られる。小泉さんの後に続く政治家はやはりテレビポリティクスを踏襲せざるを得ない。批判的だった福田さんだって、テレビとの関係が切れるか、と言ったらそれはできなかった。安倍さんも福田さんも、小泉純一郎という総理の呪縛に囚われていた。」

 日本のテレビジョン放送はすでに半世紀の歴史を持ち、政治を巡る情報は常にテレビでも報道され続けてきました。ここで御厨さんが「90年代から」としているのは何なのか?また、それ以前と以後と一体何が違うのか。情報の観点からは問題になるところです。確かに小泉さんは目新しいメディア利用の手法を導入しました。でも、それだけでこの状況を説明できるものなのでしょうか? 

 御厨さんはさらに続けます。

「もちろん、テレビポリティクスを否定しているわけではありません。使えるものは何でも使う。それが、権力者であり政治家の務め。テレビが政治と国民の距離を縮めるのであれば、テレビを徹底的に活用するのは悪いことではありません。政治というのは、ありとあらゆる資源を導入して行うものですからね。ただ、限界もあります。テレビを政治にどう生かすか。今は試行錯誤の段階。それに、小泉さんのように瞬間的に利用できる人と、そうでない人はいる。小泉政権のきちんとした検証は、政界やマスコミ、学会での今後の課題でしょう。 」

「課題」とのことで、私も情報の観点からメディアを考えてきた一人として、この問いへの答えを考えてみたいと思います。

「広告代理店ポリティクス」

 実は私は、小泉政権期に内閣府の仕事にコミットしていました。といっても、イノベーション政策など、あまり政権の性質に左右されないものですが。内閣府と産業技術総合研究所(産総研)、東京大学の緊急産官学プロジェクト「動け!日本」(2002―2003)で、報告書が日経BPから出版されています。小泉政権(2001年4月26日〜2006年9月26日)の内閣府プロジェクトにほかなりません。

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。



このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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