(前回「『負ける建築』が『ともだおれ』できる都市を生む」から読む)
――都市計画というと鳥瞰的な視線になりがちです。が、虫を求めてアジア各地を回られている養老先生は、それこそ虫の目線で、民族間のメンタリティーの違いを感じられるのではないでしょうか。
養老 メンタリティーがどうの、というよりも、やっぱり香港とかマカオとかは、すごいですよ。基本的に全部、高層でしょう。本当の大金持ちにならなきゃ、普通の一軒家に住めない。あれは「人口圧力」そのもの。近ごろのマカオなんて、特にそういうふうに見える。
――虫の視線どころではない、と。
隈 先日は「ホテルベネチアン」(ザ・ベネチアン・マカオ・リゾートホテル)がすごかったとおっしゃっていましたね。
養老 うん。あれはすごいよ。ラスベガスに本店というか、本家があって、ホテルの中がベネチアになっているんですよ。あそこの2階に、あっと驚く運河があってね。イタリアのゴンドラが浮かんでいて、イタリア人の船頭が「オー・ソレ・ミオ」とか歌っている。何でオー・ソレ・ミオかというと、天井にちゃんと空が描いてあるから。
隈 いかにもアメリカ人がつくりそうなホテルですね。
養老 一番下の階は、中国人の大好きな賭博場なんです。広いんだよ、これが。部屋の中で西はどっちだとか、東はどっちだとかやらなきゃいけない。迷子になるもんね。
隈 そこまで人工的なものを、よくぞつくると言いましょうか。
養老 中国ってそうなんですよ。唐以降、自然という言葉は中国から消えたと、僕は思っています。
養老 孟司(ようろう・たけし)
解剖学者/作家/昆虫研究家。1937年生まれ。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ。95年東京大学医学部教授を退官し、その後北里大学教授に。東京大学名誉教授。著書に『からだの見方』(筑摩書房、サントリー学芸賞)『唯脳論
』(青土社)『人間科学
』(筑摩書房)『バカの壁
』(新潮社、毎日出版文化賞)『死の壁
』(新潮社)など、専門の解剖学、科学哲学から社会時評、文芸時評までを手がける。本サイトにて「タケシくん虫日記」を連載中
隈 研吾(くま・けんご)
建築家。1954年生まれ。1979年に東京大学工学部建築学科大学院を修了、「1979年東京大学建築学科大学院修了。コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。97年に日本建築学会賞を受賞(宮城県登米町伝統芸能継承館「森舞台」)。99年、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授に就任。2001年、理工学部教授に就任。主な著書に『負ける建築』(岩波書店)、『隈研吾:レクチャー/ダイアローグ
』(INAX出版)、今回のインタビュアー、清野由美との共著『新・都市論TOKYO
』(集英社新書)がある
隈 それはうなづけますね。
養老 中国は唐が最盛期でしょう。唐まではあそこにも、何とか自然という概念があった。僕、しょっちゅう色紙に書くのが「別に天地あり、人間(じんかん)にあらず」という李白の文句なんです。「別に天地あり」というのは、世界は別にあるよ、「人間にあらず」というのは、世間ではないよ、という意味。
つまり世の中とは違うところに、天地というものはある、と李白はうたっているんです。彼は山中に閑居していたでしょう。山の中に暮らしていて、「天地は世間にない」と言うのを逆から解釈すると、中国人にとって生きる環境は街しかない、ということで。
隈 街とは人工のたまものですからね。
養老 そう。自然のないところには、自然という言葉も登場しないから。自然と人工が対立概念として語らえる、というのは、実は日本ですよ。
隈 それは逆に、日本には自然がある、ということですね。
養老 そう。だから明治になって、日本では自然科学が発達したでしょう? 立役者の1人が荻生徂徠で、彼は天道と人道ということをはっきり区別している。『弁道』という代表作の中で、「道は先王の道、天地自然の道にあらず」と。先の王とは、孔子を入れて堯とか舜とか禹とかの5人がつくったもので、それが社会の掟だと。
「天地自然の道にあらず」というのは、天人一致の朱子学とは反するんですよ。天道、人道は根本的に宇宙の原理、天の道に一致しているという考えが朱子学ですから。でも、伊藤仁斎もそうだけど、自然科学者の荻生徂徠は、天の道と自然の道、社会のルールと自然のルールは根本的に違うんだ、と説いた。
それをもっと平易に説いていったのが二宮尊徳です。彼がどういうふうに説明したかというと、家を建てて、ほっぽっておくと、屋根に穴が空いて雨が漏って、家が崩れる。これを天道という、と。で、そういうふうにならないように一生懸命、手入れをする、これを人道と言う(笑)。
隈 さすが、説教がうまいんですね。

(写真:大槻 純一)
養老 とにかく日本人は、人力と自然をきちんと分けているんです。だって日本では、どうしても自然に勝てないですから。地震はあるし、台風は来るし、そこら中にどんどん草は生えてくる。ところがずっと古くに都市化した中国は、そうじゃない。
隈 確かにあそこでは草が生えないです。森も大昔に伐採しちゃって、その後は草も木も生えていない。僕が「竹の家」を北京郊外にある、万里の長城の麓に設計したとき、クライアントが「周りの庭もちゃんとデザインしろ」と言ってきたんです。日本人の感覚で、わざとらしい庭はデザインしたくなかったので、「足元は自然に草が育ってきますよ」と、クライアントに説明したのですが、いつまでたっても草は生えなかった(笑)。
養老 基本的に砂漠ですからね。
隈 建物と地面の接するところに草がない状態は、僕としては、パンツをはいてないみたいな感じで、何とも気持ちが落ち着かないわけなんですが。
養老 日本だったらそんなこと、経験しないもの。
隈 そうなんです。地面に草が生えてくるのが当たり前で、それこそ自然に何となく足元が収まってくれる。建築って足元が大事ですからね。でも北京では、足元がいつまでたっても収まらない。しょうがないから石を持ってきてちょっと並べたりして。雑草が生えるって、とんでもなくありがたいことだと思いました。
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