(前回「都市の民、中国・畳の民、日本」から読む)
――現在の都市空間や、車など工業製品の現場では、CADなりCGなり、コンピューターの役割がどんどん増しています。それが創造に与える影響はありますか?
隈 影響はすごくあります。何が一番あるかというと、建築をデザインするときに、CADの手順を頭が踏襲してしまうという点ですね。その危機感をすごく感じます。
僕たちが教育を受けた建築デザインの基本は何かというと、それは結局モデリングに尽きるわけです。つまり3次元の立体模型をつくって、それにテクスチャーを張っていく方法。で、そこがややこしいところなんですが、CADも、基本的にそういうモデリングの構造を踏襲し、さらに強化する方に行っているからこそ、危険だという。
養老 人間がコンピューターに引っ張られちゃうでしょう?
隈 その通りなんです。設計をする人間の頭が、CADを真似してしまうんです。
手を使ってつくる立体模型のモデリングは、すごくプリミティブで幼稚な方法なのですが、CADになると手ではなく、頭が先に行っちゃって、それで自分の考えではなく、コンピューターの考え方を真似してしまうのが怖いところです。
――パワーポイントを使ったプレゼンテーションが、事業効率や戦略を間違わせる、という話に似ていますね。パワポを使うと、それに沿って物を考える癖が付いてしまうので、どの会社も戦略がみな似通ってしまう、といいます。
隈 実はコンクリートの建物のつくり方って、まさしくそれなんです。
養老 孟司(ようろう・たけし)
解剖学者/作家/昆虫研究家。1937年生まれ。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ。95年東京大学医学部教授を退官し、その後北里大学教授に。東京大学名誉教授。著書に『からだの見方』(筑摩書房、サントリー学芸賞)『唯脳論
』(青土社)『人間科学
』(筑摩書房)『バカの壁
』(新潮社、毎日出版文化賞)『死の壁
』(新潮社)など、専門の解剖学、科学哲学から社会時評、文芸時評までを手がける。本サイトにて「タケシくん虫日記」を連載中
隈 研吾(くま・けんご)
建築家。1954年生まれ。1979年に東京大学工学部建築学科大学院を修了、「1979年東京大学建築学科大学院修了。コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。97年に日本建築学会賞を受賞(宮城県登米町伝統芸能継承館「森舞台」)。99年、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授に就任。2001年、理工学部教授に就任。主な著書に『負ける建築』(岩波書店)、『隈研吾:レクチャー/ダイアローグ
』(INAX出版)、今回のインタビュアー、清野由美との共著『新・都市論TOKYO
』(集英社新書)がある
隈 コンクリート建築とは何かを端的にいうと、それはモデリングとテクスチャー・マッピングなんです。とにかくモデリングするみたいにコンクリートで形を作って、後はテクスチャーとしてのビニールクロスなり、薄い木なりをその上にマッピング、すなわち張ればおしまい。CADでモデリングする際に、張るものの厚みは画面に反映されません。CADの絵の描き方って、形とテクスチャーしか定義しないです。で、そのやり方に一番向いていたのが、実はコンクリート建築で、いよいよコンクリート建築は不滅です、みたいな感じになっちゃう。
(参考記事→コンクリのビルは「信用」で建っている)
養老 隈さんのようにCADの危険性に自覚的な建築家と、そうでない建築家はいるでしょうね。
隈 例えばこれが木造建築となると、今、CADとは全然違うOSで動いているわけです。木造ってものすごく難しいから、その図面を引けとコンピューターに命令しても、簡単には引けません。僕自身も、最初に木造を設計しろと言われたとき、怖くて図面が引けませんでした。
養老 どこらへんが怖いんですか?
隈 木造ってフレームだけで、コンクリートみたいに簡単にヴォリュームにはなってくれないんです。あの、そこら中に隙間が空いているような、すけすけな感じでは、閉じたものがつくれない気がしまして。その点、コンクリートは曲線を適当に描けば、その線の内側にコンクリートを流し込めばいいので、自動的に閉じたものがつくれます。機密性も水密性も、音も全部シャットアウトできますが、木造は全部スースーで、そこが怖い。
養老 耐震強度偽装の話が出たときに、木造の方は構造計算ができる人間が、実はいないという話を聞きましたね。
隈 そうなんです。ものすごく複雑な計算をあきらめて、経験上では壊れないはずだよ、といった、ある意味おおらかな世界です。
養老 このままいくと、木造を建てられる人がいなくなるんですってね。典型的にお寺がそうですよ。鎌倉の建長寺だって、建造700年で、コンクリートに変えられたんだよ。
隈 建長寺がコンクリートになっちゃったんですか!?
養老 そうなんですよ、本堂が。何でかというと、木造でやると建築基準法に通らないんですって。
隈 何とかして伝統工法を受け継いでいかないと、木造という文化遺産が壊滅してしまうのですが。

(写真:大槻 純一)
養老 ロンドンのウェストミンスター・ホールの巨大なアーチだって、全部オーク、樫の木でできている木造建築なんだけど、あれも最新鋭の技術理論でもってしても、何で建っているのか、分からないそうですよ。
隈 分からない、というか、力の仕切り方が正確には分析できないのでしょうね。
養老 もっと言えば、人間の体というのがそもそも分からないものなんですよ。我々が高い所からぽーんと飛び降りたり、重いものを持ったりするときには、関節に力がかかるでしょう? 瞬間的にかかる力ってすごく大きいんですよ。でも、何で耐えられるかが分かってない。
隈 力学的な構造って意外に分かっていないんですね。
養老 なぜかというと、力学のような基本的な学問はオールドファッションだと思われているから。モダンな学問では、そんなことは問題にしないで、それこそ素粒子とかに行っちゃうでしょう。でも一番簡単な、ごく普通の力学的な構造って、案外解明されてないんだよね。
隈 飛行機がどうして飛ぶかも、解明されてないという話ですよね。経験値でしかないとか。
養老 生物の構造は建物とよく似ているんです。要するに、最小限の材料で、最大の強度を出すということ。骨なんかが最たるもので、実際に大腿骨の「骨梁」は、それこそ、骨の中が橋梁のようになっているんだよ。ヒトの大腿骨の力学的な原理を発見したのは、スイスのマイヤーという橋梁設計をやっていた工学部の人。彼が解剖の話を聞きに行ったとき、たまたま骨が半分に切ってある標本が置いてあった。その骨の梁の走り方を見て、俺がやっている橋と同じじゃないか、って気付いたというんです。橋をつくるときも、最小限の材料で最大強度を出していくでしょう。
隈 人間が頭でたどり着く回答が、あらかじめ体には入っている、ということですね。
養老 知らず知らずにそうなっていることは、たくさんあるよね。
――隈さんが建築をデザインするとき、力学的な証明はないけれども、視覚的要素を研ぎ澄ましていくと、それが結局、力学的にも一番いいプロポーションだった、ということはありますか。
隈 いろいろやっているうちに、そういう解に近づいているのかもしれないけれど、はっきりは言えないですね。生物を真似しようといっても、そんなに簡単にはいきません。黒川紀章さんは、生物が持つカーブのラインを真似したとか作品で言っておられますが、実はそれって、すごく不合理だったりすることがあるわけで。
それよりも、予算が合わないとか、法規制の壁があるとか、現実的なことをいろいろ考えていくうちに、最適解に近づいていく方が多い。だってそれこそが、真っ当なプロダクションアプローチの様式ですから。
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