• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

ノーベル賞が日本企業に期待するもの

「開発部長」は「新企画廃案担当」になっていないか?

2008年12月16日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 「ビッグスリー破綻」を筆頭に、米国の金融破たんが実体経済に明確な影響を見せ始めています。世界のR&D(研究開発)の旗振り役を果たしてきた米国企業に変化が見られるのは必至でしょう。現在ベルリン工科大学とのプロジェクトのためにドイツからこの原稿をお送りしていますが、こちらでもそうした話題で持ちきりになっています。

 前回はイタリアから、教会で素粒子物理の講話が行われている様子をご紹介しましたが、私がことさらに欧州と日本を比較せざるを得なくなったのは2000年に大学で職を得てから、とりわけ2005年に国連の「世界物理年」日本委員会の幹事となって、各国の「科学リテラシー」の数字を見て以降のことです。

 日本では、子どもの「理数科テスト」の成績はヤケによいのですが、大人の基礎的な科学の理解が非常に浅く、先進国内でもかなり低い成績になっています。これに対して、欧州各国の子どもの成績はソコソコなのですが、大人の科学リテラシー水準は日本と比べ物にならないほど高いという結果が出ています。

 前回も今回も、そういう21世紀に入ってからの、国際統計など客観的なデータを元に、建設的に考えてお話をしておりますこと、ご斟酌頂ければ幸いです。

 ちなみに、キリスト教会などが大人向けに科学の市民講座を開くのは、決してイタリアだけの現象ではありません。たまたまベルリンの地下鉄の中でも、やはりキリスト教系団体が主催して、同じLHC(大型ハドロン加速器)の物理が取り上げられているのを見ました。

 これも、わざわざそういう告知を探そうとしたのではなく、単に駅で地下鉄を待ちながら、数少ない広告(日本と違って欧州の駅や電車の中は広告が極めて少ない)を眺めていたところ、パッと目についたものをご紹介しています。

左:ドイツ・ベルリンの地下鉄にも「巨大加速器物理」のキリスト教系市民講座の告知が。欧州は概して車内広告が極めて少ない。右:イタリア・ミラノの地下鉄内だが、美術館の期間展示の告知などごく少数。良し悪しはさておき、吊り広告だらけの日本との好対照を感じる

左:ドイツ・ベルリンの地下鉄にも「巨大加速器物理」のキリスト教系市民講座の告知が。欧州は概して車内広告が極めて少ない。右:イタリア・ミラノの地下鉄内だが、美術館の期間展示の告知などごく少数。良し悪しはさておき、吊り広告だらけの日本との好対照を感じる


 一般社会の普通の人が新しい科学を正しく理解する「科学リテラシー」の観点で考えると、日本はいまだにテレビのゴールデンアワーで「霊感番組」などが高視聴率を取ってしまうという、他の先進国では類例を見ない現状があります。欧州の大学関係者とこの手の話をするたび、日本の「特異性」を痛感せざるを得ません。

「鎖国」と「日本式技術経営」

 さて前回は、日本の「鎖国」状態に触れ、第2次世界大戦後に公職を追われた技術将校たちが「日本型民間企業」に転職したことで、日本の高度成長期を支えた「軍事科学式」の「日本型技術経営」のことや、知財に関する特殊な性格が形づくられたあたりまで、お話ししたのでした。

 戦時中は湯川秀樹博士も仁科芳雄博士をリーダーとする「原子物理学兵器」の研究に携わっていましたし、朝永振一郎博士も今日のLSIやコンピューターなどの原始的段階と言うべき「立体回路」研究に従事していました。また、繰り返しになりますが南部陽一郎博士も陸軍研究所に勤務されています。

 戦前に軍事技術者だった人々が戦後「企業人」になると、終身雇用が前提だった時代は「大学は変なイロをつけないで優秀な人材を会社に送り込んでくれれば十分」と言っていました。なぜなら国際的に競争力を持つような開発はすべて「実戦部門=企業側」で行うからです。企業は大学に、教授の個人研究規模の「基礎研究」資金を寄付し、教授は学生を大企業に送り込みます。産業に直結する技術はすべて社内で行い、成果は会社が特許化、製品は国際的に売り出されますが、開発された基礎技術は日本国内に囲い込まれて、国際社会はそこにタッチすることができませんでした。

 21世紀になってから飛躍的に多く日本向けに出されるようになったノーベル賞は一面、日本企業への「国際貢献」を期待する側面があります。これは田中耕一さん=島津製作所のケースが最も典型的なのですが、少しお話を遡って、日本人として初めて化学賞を受けた福井謙一先生のケースから追ってみたいと思います。

 ちなみに私は、恣意的に特定の受賞業績を選んだりしないため、日本人の業績についてもすべてに触れるようにしています。このコラムも、またこれをまとめた書籍も、信頼できるルートからのティーチインを基に、今まで108年間に与えられた全ノーベル賞業績をチェックして、あるがままを書いているだけです。そこから、明確な「バランス回復」への主催者側の意図と、「扇の要」を握るものが常に勝利を収める、という戦略の基本が浮かび上がってくるのです。

陸軍技術将校・福井謙一大尉

 さて、日本型の技術経営で「第2次世界大戦後」の産学協同システムが最も成功した例として、1981年にノーベル化学賞を受けた福井謙一教授のケースを挙げたいと思います。

コメント4

「伊東 乾の「常識の源流探訪」」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック