「御立尚資の「経営レンズ箱」」

世界的デフレか、それとも価格“正常”化か

日本のデフレ現象から見る世界経済の行方

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2008年12月19日(金)

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 最近、海外の同僚と話すと、デフレーションの話題になることが多い。金融危機に引き続き、1990年代後半の日本のように、大多数の先進国がデフレに陥るのではないかという懸念が高まっているからだ。

 不謹慎だとお叱りを受けるかもしれないが、当時の我々がそうだったように、現在の欧米でのデフレ論は、もやもやしたとらえどころのない議論になっているのが興味深い。何と言っても、経済学の教科書に出てくるデフレと、今後起こり得るデフレとのギャップが大きすぎ、デフレがどういう事象なのか、具体的なイメージがわかないのだ。

様変わりした90年代以降のデフレ 

 日本の場合も、それまでの経済史で取り上げられるデフレと、90年代に進行していたデフレとは全く違っていた。バブル崩壊以前、近代日本では、3回のデフレがあったとされる。西南戦争後の「松方デフレ」、昭和初期の「井上デフレ」、第2次大戦終戦後の「ドッジデフレ」だ。

 3つとも人名がつけられていることから分かるように、これらは共通して、その当時の政策責任者がインフレ対策として強烈な緊縮政策を取ったことが引き金となったデフレであり、かつ物価低下のレベルは半端なものではなかった。松方デフレ、井上デフレの場合、5〜6年の間に物価は3割以上下落したという。ドッジデフレの場合も、1949年から翌年の短期間ではあったものの、ヤミ物価の2割強の下落をもたらした。

 バブル崩壊後のデフレは、言うまでもなく「インフレ対応のための超緊縮政策」が原因となったわけではない。不動産融資の総量規制などの政策が、90年頃の資産バブル破裂のきっかけではあった。しかし、その後の不況期、および96〜97年頃の金融危機以降も、長期にわたる緩和的政策が取られ、その下でごく緩やかな物価下落が続いたのだ。

 過去3回の「教科書的」デフレとは全く違う90年代後半以降の日本のデフレ。これを経験してきた我々には、今振り返ってみることで分かることがある。新興国の工業化、そして先進国での「高付加価値競争」が進んだ環境の中でのデフレは、2つの要因が絡み合って進行するということだ。

 第1の要因は、需給ギャップ。バブル崩壊、そして金融危機(とそれに伴う信用収縮)が起こると、当然何らかの景気悪化につながる。その中で、企業心理、消費者心理の改善が見られないと需給ギャップが発生し、価格を下げても需要の「量」が回復しない。これが当然、デフレ要因の1つであり、日本でも起こったことだ。

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著者プロフィール

御立 尚資(みたち・たかし)

御立 尚資

ボストン コンサルティング グループ日本代表。京都大学文学部卒。米ハーバード大学経営学修士(MBA with High Distinction)。日本航空を経て現在に至る。様々な業界に対し、事業戦略、グループ経営、M&A(合併・買収)などの戦略策定、実行支援、経営人材育成、組織能力向上などのプロジェクトを数多く手がけている。著書に『戦略「脳」を鍛える』(東洋経済新報社、2003年)、『使う力』(PHP研究所、2006年)、『経営思考の「補助線」』(日本経済新聞出版社、2009年)など。



このコラムについて

御立尚資の「経営レンズ箱」

コンサルタントは様々な「レンズ」を通して経営を見つめています。レンズは使い方次第で、経営の現状や課題を思いもよらない姿で浮かび上がらせてくれます。いつもは仕事の中で、レンズを覗きながら、ぶつぶつとつぶやいているだけですが、ひょっとしたら、こうしたレンズを面白がってくれる人がいるかもしれません。

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