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下村博士の「光のプレゼント」

「本物教育」と山川健次郎・長岡半太郎の精神

2008年12月24日(水)

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 クリスマスです。今年も押し迫り、年内最後の「常識の源流探訪」となりました。今回の最初は、飛行機の中で見た映画から話を始めたいと思います。

 皆さんはトム・クルーズ主演の映画「ラスト サムライ」(2003)をご覧になったでしょうか? 渡辺謙の名演が伝えられていましたが、私は今まで見る機会を逸していました。たまたま今回見たのですが、いろいろ考えさせられる所の多い、よい作品だと思いました。

 設定は明治9~10年の日本で、西南戦争などをモデルにしていると思いますが、中には忍者の登場する活劇があったりするところもあって、ハリウッド映画ならではです。物語は、文明開化の中で廃刀令などに反対した武士たちの精神と最期を描く物語で、なるほど、聞いていたように、西郷隆盛をモデルとするらしい渡辺謙の役どころは立派な演技でした。

 西南戦争(1877)を筆頭に、神風連の乱、萩の乱、秋月の乱(1876)など、明治初年の不平士族反乱は、その大半が長州~九州に集中しています。その嚆矢となったのは江藤新平、島義勇、副島義高が蜂起した佐賀の乱(1874=明治7年)です。実は私のルーツは佐賀県で、「佐賀の乱」ならびに『葉隠』については、通説とはかなり異なる、地元ならではの独自解釈を沢山聞いてきました。明治維新は「薩長土肥」などと言われながら、最終的に最も成功したのは長州出身者が多く、坂本龍馬を筆頭とする土佐勢や、我が佐賀の先輩たちも、多くが官界で活躍することなく、世を去りました。滅ぶことを覚悟のうえで、あえて大砲やガトリング機関銃の前に馬で躍り出て死んでいく武士たちの心情は、私自身「肥前の気持ち」で見て感慨無量なものがありました。

 こうした話題については、また別の機会にお話できればと思います。ちなみに官軍に捕らえられた江藤は「わずか2日のスピード裁判」で斬首の刑が確定します。「2日」という日数を見て裁判員制度を思い出しました。実は今裁判員制度の新書を準備しているので想起したものですが、江藤の場合は「結論の決まった暗黒裁判」の象徴として「2日」という数が挙げられていて複雑な思いを持ちました。

「ラスト サムライ」が描いた後進国日本

 さて、ハリウッド映画らしく、ニンジャなど様々な脚色もあるものの、「ラスト サムライ」は十分に時代考証されているように見え、感心しました。トム・クルーズの立ち回り、真田広之をはじめとする日本側キャストの好演も光っていました。特に横浜港や付近の町の賑わい、そして薩摩を描いたと思われる農村の活写に目を惹かれました。というのは、当時の自然農法と、私がルワンダの農村で目にした今日のアフリカの畑の姿に、著しく近いものがあるように思われたからです。

 アフリカで中学高校生向けに科学や音楽の授業をする時、私はほとんど口癖のように「ほんの150年前まで、日本もルワンダも、西欧科学文化圏の外にあったという点では全く変わらない」と教えてきたのですが、実際にそれを想起させる、時代考証を踏まえたと思しい画像を見て、改めてショックを受けたのです。1870年代、日本はまだ本当に「後進国」でした。それからたった二十数年後の1904年には、長岡半太郎が世界に先立って「水素原子の土星モデル」を提唱、9年後の13年にデンマークのニールス・ボーアが現在の量子力学の基礎となる長岡モデルの改良を行って、現代物理学の端緒が開けました。ボーアは長岡を高く評価し、実際長岡は日本人として最初期のノーベル賞候補に挙げられています。また長岡自身がノーベル推薦委員として湯川秀樹を候補に挙げ、第2次世界大戦後の50(昭和25)年、前年の湯川のノーベル賞を見届けたのちに亡くなっています。85歳でした。

 なぜ1880年頃まで現在のアフリカと大差のなかった日本が、たった20年ほどで、世界のトップで科学を牽引する水準まで進むことができたのでしょうか? この問題には長年取り組んできたので、本が何冊も書ける分量の背景があると思いますが、決定的な要素を1つ挙げるなら、それは本質的な「教育」特に実験教育の徹底だと思います。紙の上の知識として、確信もなしに教えられ、また学ばれる「演習問題」では人材は育たないのです。今日本が直面する「理科離れ」にも同じことを感じます。ちなみに大学の物理学科時代、「放射線実験」という必修課題で、私自身、1980年代に「長岡半太郎先生がパリでキュリー夫妻からもらった」だか「買ってきた」だかの「放射線源」を使って実験を行いました。東京で行うのと全く同じ実験授業を、科学に関しても音楽に関しても、私はナイロビでもキガリでも続けていきたいと思っています。

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