「伊東 乾の「常識の源流探訪」」

世界に日本の大学の「派遣」を!

公共事業としての学術国際協力

バックナンバー

2009年1月13日(火)

1/4ページ

印刷ページ

 新年早々他紙からの話題で恐縮なのですが、1月3日の読売新聞第1面に「ノーベル賞経済学者」となったポール・クルーグマン博士のロングインタビューが載りました。ご覧になった方も多いと思います。

 インタビュー中でクルーグマン博士は幾つか注目すべき内容を断言しています。その第1は「米国一国超大国」の時代が終わったという宣言です。ほかならぬ米国人経済学者のクルーグマン博士が、ノーベル賞受賞者として「冷戦崩壊後」の「米国の平和Pax Americana」の終わりを、以下のように明言しています。

 「世界経済には、もはや覇権国家は存在しない。米国主導の時代が完全に終わったのではないが、米国の信用と権威は落ちた。米国は経済政策について多くの国に口出しをして来たが、今やそれは難しい」

 もう1つ、とりわけ日本人が注目するべき点として、日本が近い将来、国際経済の第2グループに属することになるだろう、という予測がなされています。実際にクルーグマン博士の言葉(訳文:読売新聞社)で見てみましょう。

 「『米国が父親役で、子供たちが何をすべきかを諭す世界』でなく、将来の世界経済は、米国と欧州連合(EU)、中国、インドの4大勢力など大国間の駆け引きで動くことになるだろう。日本は、2番手集団の先頭といったところだ」

 見ようによっては、これは「日本国は二等国に転落する」とも読める表現です。読売新聞としては、この記事の掲載はなかなかの大英断だったとも思います。またクルーグマン博士の発言を「日本は二等国」規定と解釈してキリキリきた読者もおられるかもしれません。でも実際のところ、どうなのでしょうか?

「超大国間駆け引き」から自由な先進国?

 クルーグマン博士の挙げるビッグフォー「米国」「EU」「中国」「インド」に続く2番手集団とはどのようなものでしょうか?

 仮に、主要8カ国(G8)首脳会議のメンバーから上の「4者」を除くと、カナダ、日本とロシアが残ります。また「EU」を考えると、欧州のど真ん中にぽかんと開いた「EUのドーナツの穴」スイスなども目に留まるでしょう。クルーグマン博士自身が原語でどのように表現したのか、記事の訳文からは分かりませんが、「ビッグ4」には「EU」のような先進国集団と、中国、インドのような新興巨大国家が並んでいます。ここでの「2番手集団」を、旧来の意味での「二等国」という意味に取るのは、正確ではないでしょう。

 近い将来、世界経済のトレンドを動かす4大要素として、マーケットとしての意味も含めた米欧中印の4極の比重が高まるのは、まず間違いないでしょう。しかし、こと最先端テクノロジーや基礎科学研究、特許等の知財確保の積み重ねも含めて考える時、日本は明らかに、中国やインドが当分追いつけない水準とブランド性を持っています。

 クルーグマン博士の上記の表現はむしろ「一国超大国としての米国」の陥落を中心に読むべきもので、従来の「米国の好き勝手」が、旧大陸先進国が束になってしまった「EU」、市場としての役割を含め、様々な経済規模が巨大である中国などとの駆け引きで、左右されざるを得なくなる、と読むべきもので、「日本は米国より一段下に留まらざるを得ない」という意味では、旧来とあまり意味合いの変わるものではないと思います。

 さらに言うなら、ビッグ4の駆け引きは互いにけん制し合う側面もあるわけで、そうした糸の引っ張り合いから比較的自由に、独自の展開を図る「フリーラジカル」として、日本が新たな展開を遂げる可能性すら、上のクルーグマン博士の規定は意味しているように思います。

 とりわけその面を強調したく思うのは、科学技術、イノベーションなど、20世紀の100年を通じて日本が育んできた、国際社会の中で他の追随を許さない底力があるからに他なりません。

価値ある「公共事業」とダメな箱物行政

 ノーベル賞受賞前から、クルーグマン博士は一貫して、金融危機への対抗策として財政出動の重要性を指摘しています。とりわけ「インフラ整備」の公共投資が、単に金融対策に留まらず、実体経済の成長に直結する中長期的な建策であることをクルーグマン博士は強調します。

 そしてこのクルーグマン博士の「公共投資」説を批判する反対派=「自由経済派」が、「ダメの実例」としてしばしば挙げるのが、永年の「公共事業立国」が、ついぞ成果を上げることのない「失われた10年」以後のニッポンに他なりません。

ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。



関連記事

Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)

Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
この記事を…
内容は…
コメント20 件(コメントを読む)
トラックバック
著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。



このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

⇒ 記事一覧

記事を探す

読みましたか〜読者注目の記事

  • いま、歩き出す未来への道 復興ニッポン

日経ビジネスからのご案内