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(前回から読む)
顔に刻まれた深い皺が、その人生がいかに濃密であったかを物語っていた。
彼の名前はゲハルト・ラーソン。前回、前々回とリポートした“障害者団体”、サムハルの生みの親である。
1980年の設立以降、19年間にわたってサムハルの経営トップの座にあった。99年に退任した後は、昨年までスウェーデン中部のヴェステルノールランド県の知事を務めた。63歳になった今も「食品安全対策委員会」や「薬物乱用対策委員会」の議長など政府の要職を占める。
ゲハルトの経歴は日本の常識では測れない。
28歳の事務次官
69年に大学を卒業したゲハルトはスウェーデン南部の都市、ベクショーの市役所で働き始めた。ここで医療や福祉を担当したゲハルトはベクショーの障害者福祉政策を大きく転換した。それまで精神的な障害を持つ人々に対しては大規模病院でまとめてケアしていたが、ゲハルトは地域にコミュニティークリニックを作り、個別対応のケアを実行したのだ。それまでの政策を大きく転換する決断だった。
その取り組みが評価されたのだろう。76年、28歳の若さでスウェーデンの保健社会省の事務次官に就任している。歴代で最年少の事務次官だった。
この年、44年も続いた社会民主労働党政権が終焉し、三党連立政権に移行した。この時、ゲハルトと同郷の人物が大臣に就任するという幸運に恵まれた。もっとも、スウェーデン人は強烈な合理主義と現実主義で知られる。「大臣以上に省を掌握していたよ」。保健社会省でゲハルトの下にいたサムハルのディレクター、リーフ・アルムが振り返るように、ゲハルトには次官に相応しい力があった。
そして、次官に就任したゲハルトは温めていた1つのアイデアを実行に移した。それは、障害者を雇用し、労働市場に組み込むための企業、サムハルを作るというアイデアである。
ヒューマニズムだけが理由ではない
なぜサムハルを作ろうと考えたのか――。漆黒の闇に包まれた夕刻。ゲハルトに尋ねると、彼は口を開いた。
「1つは人間的な理由だ。障害者が他の人と同じように働く。そういう社会を実現することは、人間として大切なことだと思った」
その当時、スウェーデンでは障害者を施設に隔離し、障害年金を支給していた。障害者は社会の外側にいるアウトサイダーだった。だが、障害者を社会の外に隔離する社会が健全であるはずがない。そう考えたゲハルトは、彼らを社会の一員とする仕組みを作ろうとした。
社会に組み込むにはどうすればいいか。そのためには何より、健常者と同様に就労の機会を提供し、自立した生活を送ってもらう必要がある。では、仕事はどうやって作り出せばいいか。障害者の仕事を生み出す組織を作ればいい――。こうした一連の思考を経て、国が雇用の場を作り出すというサムハルの原型が生まれた。
ただ、背景にある思想は、単純なヒューマニズムだけではなかった。早熟の天才はもう1つ別の視点を持っていた。それは、福祉コストの削減である。
「障害年金モデルに疑問を感じていた」
当時は障害者に現金を給付する障害年金が障害者福祉の中心だった。だが、障害年金をただ支給するよりも、障害者が働き、納税する方が全体のコストは下がるのではないか。彼らが働けば、その生産の分だけコストは減るのではないか――。ゲハルトはそう考えていた。
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