今回も前回に引き続いてタバコのお話です。最初に読者の皆さんの中で、喫煙の経験のある方にお尋ねします。最初にタバコを喫われたのはいつでしたか? それはどんなキッカケで、どんな感想を持たれましたでしょうか?
ためしに身の回りで同じ質問をしてみたところ、ほぼ全員が「10代後半」という答えでした。法律上、タバコは20歳を過ぎてから、のはずですから、ほぼ全員が違法行為をしていたことになります。4割ほどは、中学・高校生時代から喫い始めたとのことでした。半分ほどは、大学に入ってから、あるいはそれと同時に下宿生活を始めてから、という答え。大人数を対象に調査すれば、どんな結果になるのか、興味がありますが、元来が法に触れる話ですから、改まって調査をしたら「20歳になってから」「成人式から」といった答えが増えてしまうかもしれません。
なぜかこの国では、大学生になると酒タバコは解禁になる風習があるようで、高校生が酔っ払っていたりタバコをくわえていたりすると停学になったりしますが、大学のサークル・コンパでの飲酒喫煙は大半の人が何も言いません。また高校や大学に進まず、実社会に出ている人に関しては、喫煙も飲酒もほとんど問題にされないように思います。たぶんこんな中から、酒やタバコの習慣が身についてゆくのでしょう。
「恩賜のタバコ」と原体験
私が小学校5年生頃のことだったと思います。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン’ブギ」という曲がヒットしました。
「初めて試したタバコが ショートピース」といった歌詞の、ちょっと不良がかった高校生?がタバコに染まり始める頃の心情を歌ったナンバーで、PTAなどがヒステリックに「青少年に悪影響!」と反対していた記憶があります。
これが流行っていた頃、小学生の私にとってタバコとは、実感はないものの、父親の生命を奪ったもの、憎むべきものという印象を持っていました。私の父は1972年、転移性肺がんのために46歳で亡くなりましたが、この時私は小学1年生で、いろいろな出来事を、まだよく理解することができずにいました。
父がタバコを覚えたのは、学徒出陣で入営した関東軍時代、軍事ヒエラルキーの最底辺にあった陸軍二等卒としてだったようです。ストレスフルな陸軍生活の中で「恩賜のタバコ」をトランキライザーに使っていたのでしょう。やがて1945年の敗戦後、敗軍の兵としてシベリアを逃げ回っていた父は、ソ連軍に捕まり、ラーゲリと呼ばれる強制収容所で凄まじい生活を送り、国際赤十字の視察で救い出してもらって奇跡的に生還することができました。この間の彼の喫煙状況も不明ですが、タバコは強制収容所で物々交換の通貨代わりに使われることがあったらしいことを、帰還者の手記で読んだことがあります。
いずれにせよ、何とか生きて帰ってきた父は、まず肺結核になり、次にそれが背骨に入って(脊椎カリエス)ベッドの上に置かれた板切れのような「舟」に括りつけられて、下腕部しか動かせない時期が5〜6年続いたようですが、この時期も限られた本数のタバコは喫っていたようです。
30を過ぎて何とか社会復帰してからは、ハイライトのチェーンスモーカーになりました。40で結婚、46の春に変な空咳が出るので、調べてみたところ「余命3カ月」で、実際にはそれから7カ月生きましたが、1972年の1月、転移したがん細胞が呼吸中枢を圧迫して、心肺停止に至りました。
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