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「サステナビリティー」本当は誰のためか?

  • 谷口 正次

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2009年2月5日(木)

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 オバマ米大統領の就任演説の中に次のような言葉があった。「何の考慮もなしに資源を無駄遣いすることも、もうできない。世界が変わったため、我々もそれに合わせて変わらなければならない」。筆者としては、これこそ演説の中で一番重要な言葉であったと評価しているわけだ。

 なぜなら、米国が世界で最も資源を無駄遣いし、持続不可能な消費文明を世界に広めたわけであるから。この演説を、文明を変えようという呼びかけと解釈したい。すなわち「資源と環境の制約条件下、我々はサステナブルな消費が必要であり、そのためには限りない便利さと欲望の追求を抑制しなければならない」ということであろう。

 米国民が率先して実行してもらいたいものだ。

 サステナブル・デベロップメント(持続可能な開発)という理念は、今や世界共通の合言葉のように使われている。この理念は、国際連合の「環境と開発に関する世界委員会」(WCED=World Commission on Environment and Development)の報告書にうたわれたものである。

 「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代のニーズを満たすような開発」という基本理念が「持続可能な開発」という一種のスローガンとなって世界に広がっていった。

 1992年のリオの国連地球サミットにおいては、中心的な考え方として打ち出された。そして、今日の地球環境問題に関する世界的な取り組みに大きな影響を与えているわけだ。この委員会(WCED)は、委員長(当時ノルウェー首相)の名前を取ってブルントラント委員会と通称されている。

 さて、世界の多くの人々が使うようになったサステナビリティーと言う言葉、それは「誰のためのサステナビリティか」という疑問が、発展途上国における資源開発の現場を筆者が取材して回っているうちに湧いてきた。

 もともとサステナビリティーは地球上の人類社会全体のサステナビリティーという理念であったはずである。それが、誰のためかという疑念が生じたわけである。不穏当な言い方かもしれないが、かつて欧米列強と言われた国々のためのサステナビリティーではないかと感じさせられることがある。

 その疑念は、発展途上国における環境汚染、資源争奪戦、人権・労働・腐敗問題、食料問題、水問題、貧困問題、森林・生物多様性の破壊、地域紛争など枚挙にいとまがないほどの諸問題いわゆる南北問題が一向に改善されないばかりか悪化の一途を辿っていることからくるものであろう。

 これらの諸問題は、世界にはびこるノシズム(集団のエゴイズム=エゴイズムの複数形)が生み出しているものではなかろうか。われわれの文明、われわれの国益、われわれの宗教、われわれの金融システム、われわれの経済・社会システム、われわれの民族、われわれのヨーロッパ連合、われわれの民主主義、われわれの業界、われわれの価値観などなど。

 そして、68億人にも達した世界人口と新興諸国の高度経済成長そして限りない便利さと欲望を追求する文明、マネーの虚構の上に築かれた文明、そして顔の見えないグローバリゼーション。このような文明こそ、もはやサステナブルでないことがはっきりしてきた。多くの人たちがすでに気づき始めていることである。

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