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【会社の寿命】生き残りの条件、5カ条

一業にこだわる企業は死滅~企業は永遠か(2)

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2009年2月13日(金)

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日経ビジネスが生んだ時代のキーワード、「会社の寿命は30年」。1980年代半ば、「企業は永遠か」「診断 会社の寿命」の2つの特集を通して企業の栄枯盛衰を分かつ法則を分析した。時代が大きく動く今、あらためて盛者必衰の理を考える時だ。

* * *

1983年9月19日号より

 社長、会長の先見性と決断力。これなしに不老不死の企業づくりはできない。一見ムダにみえる技術開発を敢行、将来、変身のタネをまくなどの必要からである。

 一業にこだわる企業に、明日はない。日々刻々の変化に対応、いざとなれば事業内容どころか社風まで刷新するエネルギーがなければ、産業の衰退とともに死を迎えてしまう。

前回から読む)

第1条
時代を見抜く指導力を
目先の不利益は覚悟する

 先を見通したリーダーの鋭い決断。これなくして、企業が時代を超えて生きることは不可能といってよい。危機に直面しての方向転換、目先のマイナスを覚悟した将来への布石――自然にまかせていれば、いずれは消滅する企業の生命を永らえさせ、よみがえらせるのが、まず何よりもトップの決断であることは、幾多の事例に明らかである。

 たとえば昭和初期、「恐慌で苦しむ民衆をよそに、独占の利益を貪っている」との世の中の指弾を受けた三井財閥が、グループの歴史の中でも有数の危機を迎えた時、これを救ったのは筆頭常務理事、池田成彬の決断であった。

 巷に失業者が溢れ、農村の娘が都会に売られた昭和恐慌のさなか、為替投機などでひたすら利を追う姿勢に世論の非難は集中、三井合名理事長、団琢磨は兇弾にたおれた。その後を受けた池田にとって、中途半端な対策は許されなかった。彼は、貧民救済や国防献金のための三井報恩会を設立、三井一族の直系会社役員からの辞任、東洋レーヨンや王子製紙など傍系会社の株式公開などの手を打つことで、窮地を切り抜けたのである。

 当時としてはきわめて革新的な対策ばかりだったから、当然、主家の三井一族の反対は強かった。こういう改革には、三井同族から「危機の時代こそ、三井の主人が第一線に出て働くのが国家のためになる」という強い意見が出されたのである。だが、昭和4年に欧米を回って英米の銀行首脳と会談、「三井財閥の今後の方向は所有と経営の分離にある」と結論づけていた池田は、3日間かかって主人を説得、改革に踏み切った。すぐれた時代感覚、先見性と、主家の反対をはねつけるだけのハラのすわった決断力の賜物であった。

 明治32年、日本最初の合弁会社として生まれた日本電気が、いまなお成長発展している理由を、社長の関本忠弘は「歴代経営者の意思と能力の結果」と簡明に説明する。通信機メーカーとして出発した日本電気が、世界屈指の半導体メーカー、かつC&C(コンピューターと通信の融合)の旗手たりうるのは、歴代経営者のなかでも、とりわけ現会長、小林宏治の慧眼に負う所が大きい。

 関本は言う。「C&Cは、いまでこそ追い風の中を進んでいるが、当初は逆風をついて船出した。コンピューター進出にしても同様で、途中で金欠病に見舞われたこともあった」。そうまでしても、未知の新規事業に取り組んだのは、「官需、つまり電電公社に依存しているだけでは、将来の発展は望み得ない」という判断があったからにほかならない。

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