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「企業戦士」たちの苦悩[4(上)]
~美しき老後-企業戦士の理想と現実

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2009年2月20日(金)

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既に人口はピークを過ぎ、高齢化社会に突入した日本。それは実は、何年も前から分かっていたことだ。今話題の年金問題は、分かっていたはずの問題に正面から取り組んでこなかった政府への怒りを呼んでいる。果たしてサラリーマンの老後は幸せなものになるのだろうか。1995年時点で「日経ビジネス」が企画した特集「美しき老後」は、今読み返しても古さを感じない。

(注)会社名、肩書きなどは当時のまま

* * *

1995年2月6日号

高度高齢化社会の到来が迫っている。
すでに団塊世代の老親介護の問題が企業を直撃し始めた。
行政、企業ともに期待はできず、自らの老後は自ら守るしかない。
だが、低成長下、個人の力量にも限度がある。
「世界に冠たる経済」と「老後を捨てる」しかない日本。
企業人にとって「美しき老後」は、蜃気楼でしかないのか。

(深尾 典男、松平 由美子、磯山 知幸)

特集―第1部
妻が、母が…私を動かした-シニアライフ、それぞれの選択

老親介護のため退社し田舎暮らし
「私は日本一幸せな母親です」

 1994年10月、守屋正寿さん(56歳)は会社を辞め、家財道具いっさいを持って、妻、京子さん(59歳)とともに、東京・有明埠頭から鹿児島県奄美大島行きのフェリーに乗った。島にひとり住む老いた母、芳子さん(82歳)の面倒を見るためである。

 仕事に嫌気がさしたわけではない。守屋さんの勤務先はGE横河メディカルシステム(東京・日野市)。同社は医療用機器の優良企業で、守屋さんは経営企画室部長を務めていた。「役員昇格は目前で、年収も2000万円近くあったはず」と親しい友人は証言する。

 しかし、守屋さんはこれまで築き上げてきたキャリアをすべて捨てる決心をした。「自分は母にまだ何の恩返しもしていない。このまま母を死なせたら、一生悔いが残る」と思ったからだという。

 守屋さんは2人兄弟の長男。50年前、戦争未亡人となった芳子さんは、子供を連れて故郷の島に戻り、女手一つで守屋さん兄弟を育て上げた。しかし、兄弟は、高校を卒業するとすぐに島を離れ、以来、芳子さんは、ひとり暮らしを続けてきた。

 健康が自慢で病気らしい病気をしたことがないという芳子さんも、寄る年波には勝てず、最近は病気がちだ。足も弱り、杖(つえ)代わりの乳母車なしで歩くことはできない。

 守屋さんは何度も母親を東京に呼び寄せようとした。しかし芳子さんは「この年になって東京に行くくらいなら死んだ方がまし」とかたくなに断り続けてきた。へき地に住む母親を案じながらも、日常生活に追われる暮らしが長く続いた。

 現役時代、守屋さんは自他ともに認める会社人間だった。年に10回近くの海外出張、休日はゴルフ、帰宅は深夜。子供たちからは「また来てね」と言われる生活が続き「とても母親のことまで考える余裕がなかった」と振り返る。

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