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「企業戦士」たちの苦悩[10]働き方見つけた-1 個人と会社の新しい関係

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2009年3月12日(木)

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 会社に就職して○十年。日本では当たり前の姿だった。就職ではなく「就社」。会社を選ぶもので自分の職業を選ぶものではない。弁護士、公認会計士などの資格があるなら別だが、自分のタイトルはあくまで「(株)○○の○○課長」。しかし、年功序列、終身雇用が崩れた今、果たしてそれが幸せな働き方なのか。「ハッピーリタイアメント」ならぬ「ハッピーワーキング」は成立するのだろうか。

(注)会社名、肩書きなどは当時のまま

* * *

2002年4月29日号

 考えてみれば不思議だ。どうして同じ会社に通い続けるのだろうか。わざわざ同じ時間帯に、同じ方向に向かう電車に乗って疲労困憊している。本当は、休みは週に1日でいいから代わりに、連続1カ月の長期休暇が欲しいのに、なぜそれが許されないのか。
 人はそれぞれ能力も、達成したい目標も違うはず。独立を夢見て、がむしゃらに働く人もいる。会社という舞台を最大限利用し、個人では成し得ない大きな仕事に挑もうとする人もいる。仕事は私生活を充実させるための手段、と割り切っている人もいる。だが、求人票には、みな同じようなことが書いてある。
 自分なりの働き方を見つけたい。自分なりの働き方ができる会社を見つけたい。もし、そんな会社に入れれば、自分は誰よりも会社に貢献できる社員になれる。自信はある。それだけ密度濃く働いてきたからだ。
 そうはいっても、時々、不安にかられることもある。自分は多くを望みすぎているのではないか、と。よりによって、この未曽有の買い手市場の時代に。しかし、企業の側にも変化の兆しはある。変わらなければ、企業も立ち行かないはずだ…。
 そうだ、あの会社に電話してみよう。=文中敬称略

(花見 宏昭、三橋 英之、立木 奈美)

【第1話】 徳武 正雄氏(44歳)
独立するために就職
大戸屋で「のれん分け」制度自ら創出

 「いらっしゃいませ」。西武新宿線田無駅にほど近い商店街にある定食店、「大戸屋ごはん処田無店」。扉を開けると徳武正雄の威勢のいい声が聞こえる。柔らかな笑顔を浮かべ、きびきびと働く姿からはサービス業が天職であることがうかがえる。

 ただ、この店のオーナーという地位は、徳武の手中にやすやすと転がり込んできたわけではない。自らの情熱と実力でつかみ取ったものだ。「彼の訴えがなかったら、のれん分け制度そのものが、まだ導入されていなかっただろう」。大戸屋社長の三森久実はこう語る。徳武はのれん分け制度の第1号として、昨年11月に独立した同社の元幹部なのだ。

50歳で再びバックパッカー?

 徳武が大戸屋に入社したのは1996年2月。当時はまだ4~5店舗しかない零細企業だった。社員独立制度など望むべくもない状態だったが、徳武は「絶対にFC(フランチャイズチェーン)店第1号になってやる」と決意を固めていた。

 独立にこだわったのには理由がある。徳武は30代の前半、フリーランスのコピーライターとして働く傍ら、足かけ3年間、バックパッカーとして世界を放浪した。ポルトガルから香港まで陸路で旅し、訪れた国は42カ国。35歳の時、旅先のケニアで妻・良子から妊娠を告げられ、日本での“定住”生活が始まったが、「50歳を過ぎたら再びバックパッカーになり、あと100カ国訪ねよう」と心に決めた。

 ただ、普通のサラリーマンになってしまったら、「1年のうち10カ月働き、2カ月は旅行に出る」という理想のライフスタイルなど望むべくもない。成功する可能性が高いFCに加盟し、自分の店を持つことが夢をかなえる最良の方法だ、と徳武は考えた。そこで、まず食材卸会社に就職した。営業マンとして働きながら、外食チェーンの品定めをするためだ。

 大手チェーンの隆盛を見ながら、大戸屋の門をたたいたのは、大学時代の原体験があったからだ。東京・池袋に住んでいた徳武は、三森の父親が池袋駅近くに開いていた「大戸屋食堂」の常連だった。日に2回通うこともあり、当時300円のミックスフライ定食はまさに貧乏学生の命綱だった。取引先の社員として大戸屋と再会を果たした徳武は、「これこそ世の中で必要とされる店だ」と確信する。

 95年10月、大戸屋は取引業者を集めた説明会で、「店舗網を拡大し、将来的には株式公開を目指す」という方針を明らかにした。そこに居合わせた徳武は「チャンス到来」と直感。説明会終了後、商談の約束があった大戸屋専務の浅井航一に、いきなり「今の会社を辞めるので、大戸屋で独立させてほしい」と直訴した。

 「すぐには無理だが、頑張れば独立できる可能性はある」。入社前に三森から取った言質は極めて曖昧だったが、徳武は「3年もあれば独立できるだろう」と楽観的に考えた。

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