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「企業戦士」たちの苦悩[10]働き方見つけた-4 個人と会社の新しい関係

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2009年3月17日(火)

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 会社に就職して○十年。日本では当たり前の姿だった。就職ではなく「就社」。会社を選ぶもので自分の職業を選ぶものではない。弁護士、公認会計士などの資格があるなら別だが、自分のタイトルはあくまで「(株)○○の○○課長」。しかし、年功序列、終身雇用が崩れた今、果たしてそれが幸せな働き方なのか。「ハッピーリタイアメント」ならぬ「ハッピーワーキング」は成立するのだろうか。

(注)会社名、肩書きなどは当時のまま

* * *

2002年4月29日号

 考えてみれば不思議だ。どうして同じ会社に通い続けるのだろうか。わざわざ同じ時間帯に、同じ方向に向かう電車に乗って疲労困憊している。本当は、休みは週に1日でいいから代わりに、連続1カ月の長期休暇が欲しいのに、なぜそれが許されないのか。
 人はそれぞれ能力も、達成したい目標も違うはず。独立を夢見て、がむしゃらに働く人もいる。会社という舞台を最大限利用し、個人では成し得ない大きな仕事に挑もうとする人もいる。仕事は私生活を充実させるための手段、と割り切っている人もいる。だが、求人票には、みな同じようなことが書いてある。
 自分なりの働き方を見つけたい。自分なりの働き方ができる会社を見つけたい。もし、そんな会社に入れれば、自分は誰よりも会社に貢献できる社員になれる。自信はある。それだけ密度濃く働いてきたからだ。
 そうはいっても、時々、不安にかられることもある。自分は多くを望みすぎているのではないか、と。よりによって、この未曽有の買い手市場の時代に。しかし、企業の側にも変化の兆しはある。変わらなければ、企業も立ち行かないはずだ…。
 そうだ、あの会社に電話してみよう。=文中敬称略

(花見 宏昭、三橋 英之、立木 奈美)

大企業とは仲良く別れる
出身母体を有効活用、鮮やかに転身した3人の侍

 「君がいなくてもIBMは困らないが、ウチは困る」。そんな誘いの言葉を意気に感じ、阿久津修一(49歳)がパソコンメーカー、プロトン(神奈川県藤沢市、社長・大槻眞)に入社したのは1999年10月のことだった。

3年間休職制度で転身容易に

 技術者として20年勤めた日本IBMは、今でも「あんないい会社はない」と思っている。20代後半は、仕事の傍ら京都大学に通い、3年間勉強を続けた。30代半ばには、米シリコンバレーにある研究所で新事業の立ち上げに携わり、帰国後は予算をふんだんに使って研究開発に没頭。40代になると、自ら志願して米国のベンチャー企業に出向した。

 「IBMという舞台を最大限活用して好きなことをやってきた」と自ら語る阿久津が転身を考えた理由は2つ。1つは専門であるハードディスクの高密度化が、近い将来、物理的な限界に達することが明らかになったこと。20年続けた仕事に区切りがついたという達成感と同時に、60歳で定年を迎える前に自分の仕事がなくなってしまうという不安に駆られた。

 もう1つは、子供が独立するまで現役で働くには、気力・体力が充実している今のうちに次の仕事に移るのが得策だと思えたからだ。日本IBMの同僚で、プロトンの創業者でもある大槻から誘いを受けたのは、ちょうどその頃だ。

 阿久津の決断を後押ししたのは日本IBMの早期退職制度だった。満50歳で退職する社員は退職金を有利な条件で受け取れるほか、47歳からの3年間は次のキャリアを模索するための期間として休職が認められる。99年5月に47歳になった阿久津は、制度を利用してプロトンで働くようになった。日本IBMを名実ともに退職するのは、50歳を迎える今年5月の予定だ。

 独立心が旺盛で、能力も申し分ない。そんな人材は、魅力がない会社をあっさり見限って自分で事業を起こす。しかし、会社に多少なりとも魅力があれば、ある程度の距離感を保ちつつも、会社の“引力”が及ぶ範囲で転身を図る。他の業界の先行指標となりそうな情報技術(IT)業界から、同種の事例をもう2つばかり拾ってみよう。

辞めることはリスクではない

 「スピンアウトという制度を使って独立していなければ、初年度から黒字を達成することは難しかっただろう」。こう語るのはアクセラテクノロジ社長の進藤達也(41歳)だ。企業や自治体に組織内データベースを活用するための検索ソフトを販売する同社は、昨年7月に富士通から独立した。資本金の4割に当たる約6000万円の出資を富士通から受けている。

 「研究者として成果を上げたい」と願っていた進藤は、83年に入社後、希望通り研究所に配属された。89年には米国に社費留学するなど、順調に研究者としての道を歩んできたが、「研究だけでなく、実際にビジネスをやってみよう」と上司に誘われたのを境に運命が大きく変わった。

 上司とともに立ち上げたスーパーコンピューター事業はモノにならず、組織そのものが消滅。スーパーコンピューター用の高性能な検索ソフトの開発に取り組んでいた進藤は足場を失う。「成功体験のないまま終わりたくない」。進藤にも意地があった。様々な事業部門を回り、自分たちの開発チームを受け入れるよう要請した。

 ようやく引き受け先が決まったが、進藤は間もなく、富士通の中にとどまっていては、検索ソフトの成長に限界が訪れることに気づいた。4億円という年商は、ソフト単品としてはまずまずだったが、全社的に見れば小さな存在だ。開発予算を継続的に確保できるとは思えなかった。

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