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「人道的配慮」で導入されたアウシュヴィッツ

衆愚政と「遵法精神」の生み出した「あってはならないもの」

2009年3月24日(火)

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 読者の皆さんは、ナチス・ドイツの絶滅収容所が「人道的配慮」から建設された、という話を聞いたことがあるでしょうか? 

 私もつい最近まで、こんな話は全く知りませんでした。しかし悪質な冗談などではなく、極めて身勝手なナチス側の「人道的配慮」で進められたことを、史料を通じて最近認識したものです。

 前回も触れましたように、ナチス・ドイツ政府は、極秘に進められた国の「公共事業」である民族浄化、つまり欧州全体のユダヤ人を絶滅させる「ホロコースト」を「経済政策」として進めてゆきました。その途中で、様々な「人道的配慮」を払いながらエスカレートさせていった、というのです。ドイツ政府は、ものごとの根本で決定的に誤った判断を下しながら、具体的な施策段階では、極めて「合理的」に計画を実行した、そこに「人道的配慮」があった、と戦後の裁判で被告人たちが述べているものです。

 この「人道的配慮」は前回ご紹介した「ヴァンゼー会議」記念館発行の資料集で知りました。そこで今回と次回は、ベルリンにあるユダヤ・ホロコースト関連の施設をご紹介しながら、それらを過去の歴史ではなく、21世紀を生きる日本人の私たちにも通じる問題として考えてみたいと思います。

「アイヒマン」を類型化してよいか?

 ベルリン旧市街の中心に立つ「ブランデンブルク門」。かつて冷戦期には、そのすぐ傍を走っていた「壁」で分断された東西ベルリンの亀裂を象徴する建築物でした。初めて私がドイツ留学した1983年には、壁際にたくさんの十字架が立っていたものです。壁を突破しようとして射殺された人々の墓碑で、18歳の私は大いにショックを受けたものでした。

ベルリン中心部に聳え立つブランデンブルク門

 また「壁」崩壊の直後には、ブランデンブルク門周辺に東西から100万の市民がなだれ込み、祖国の再統一を祝いました。ご記憶の方も多いでしょう、と書こうと思ったのですが、あれからはや20年がたってしまいました。20代の読者には「ベルリンの壁崩壊」も「(第1次)湾岸戦争」も、もしかするとピンとこないかもしれません。それは当然のことでしょう。個人の記憶はすべて、生まれ合わせた時代と切り離して、考えることができないものです。

 65年1月生まれの私にとっては、誕生以前の出来事である「キューバ危機」も「ケネディ暗殺」も自分個人の同時代の記憶としては持っていません。すべてはテクストブックの知識として後から読んだものなので、どうしても教条的な理解にとどまってしまいます。これと同じように、やはり後知恵で聞いた知識の1つに「アイヒマン裁判」があります。

 アドルフ・アイヒマン(1906―62)は国家保安本部・秘密警察局第IV部ユダヤ人担当課長を務めたナチス「親衛隊」の中佐で、「ユダヤ人問題」解決のエキスパートとして自他共に認める存在でした。絶滅政策が決定された頃は30代半ばで、バリバリの若手エリートだったことが察せられます。

 このアイヒマンの処刑後に書かれたユダヤ系女性哲学者、ハンナ・アーレントの著書『イェルサレムのアイヒマン』は世界的な古典となりました。この書物から私たちは、ごく普通の、むしろ小心者と言ってよい人物としてアイヒマンという個人を認識することが出来ます。ここから、極めて「遵法的」な性格の官吏が、いったん「国法」の名の下に暴走し始めると、どのようにでも残酷になることができる典型として、アイヒマンという人物を(まるで「受験世界史」の暗記物のように)類型化して理解してしまいやすい。少なくとも私はそうした単純化・抽象化を、すぐ頭の中でしてしまいます。

 しかし、後世に生まれた私たちのような人間こそ、これらの史実の「生々しさ」に触れて、その実態を追体験し続ける必要があるのではないか? ヴァンゼー会議記念館の資料集などに記された、法廷でのアイヒマンの発言などを読み返して、私はそう感じざるを得なかったのです。

「ユダヤ人は全員有罪」という国家決定

 ユダヤ人問題の「最終解決」が、「不正に蓄財された『ユダヤ経済』を解体して」「正当なアーリア経済を復興させるために」ドイツ政府が国家を挙げて、つぎつぎと差別法案を成立させ、一種の「公共事業」として推進されたことは前回も触れた通りです。

 当初それらは、国内での差別と資産の簒奪、そしてユダヤ人のドイツ国外追放などの形を採っていました。これだけだって、とてつもない犯罪です。ある日突然「法律が出来たから」という理由で差別が始まり(「ニュルンベルク法」その他の差別立法)「ユダヤ人」とされた人々は黄色い星形のワッペンを服に縫い付けて歩くことを強要される。これだけでも、今日の日本では「あり得ない」政策でしょう。

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