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会社の履歴書【1】日立製作所

日立とニッポン 技術独善、100年目の孤独 3

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2009年4月14日(火)

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 バブル崩壊後、日本企業は好むと好まざるとにかかわらず、大きな「変革」を余儀なくされた。金融部門の痛みは、日本企業の成長を支えた間接金融の縮小、株式の持ち合いの解消を迫り、急速に進展したグローバル化は終身雇用、年功序列の終焉をもたらした。その中で問われたのは企業の変革能力である。劇的に変化する外部環境にどう対応し、組織をどう変えていくのか。それに成功した企業もあれば、依然として対応し切れない企業もある。企業が「失われた15年」をどう生きたのか。1991年以降、「日経ビジネス」で取り上げた日本の代表的な企業の記事を「会社の履歴書」として取り上げる。
(文中の肩書き、名称などは掲載当時のままです)

日立製作所

 今年3月16日、古川一夫社長の辞任と日立プラントテクノロジー会長兼日立マクセル会長の川村隆氏の4月1日付けでの社長就任を発表した日立製作所。異例の元副社長の本社への返り咲きが示すのは日立の危機が深刻化である。そこにはかつて「GNP(国民総生産)1%企業」と言われ、自他共に日本を代表する総合電機メーカーとして君臨した面影はない。原子力発電所からコンピューター、白物家電まで。「重厚長大」も「軽薄短小」も内部に取り込んだそのビジネスモデルは、日本株式会社の典型だった。しかし、繁栄を謳歌したバブル期から一転、日本の成長力が劇的に落ち、そしてグローバル化が急速に進展した中で、日立はかつての栄光を取り戻せずにいる。日立に何が起き、日立は何を起こせなかったのか。過去16年を振り返る。

* * *

2008年4月14日号より

世界が日立を待っている

鉄道や発電所といった社会インフラ需要は新興国で勃興している。
その需要に応えられるメーカーは日立を含めわずかしかない。
日本で培った技術や経験は、今こそ世界で求められている。

=文中敬称略(日本経済新聞社産業部 大西 康之、坂田 亮太郎)

 1868年に開業したセント・パンクラス駅はロンドンで最も由緒あるターミナル駅だ。駅舎の改修工事が終わり、2007年11月6日にはエリザベス女王臨席の下、記念式典が厳かに催された。

 式典のクライマックスには2本の列車がターミナルに滑るように入線してきた。1つは欧州を代表する国際列車「ユーロスター」。ペアを組む紺色の車両は、日立製作所が製造する新しい高速鉄道だ。

 「ブリット・トレイン(弾丸列車)」と名づけられた新車両は最高速度が時速225km。ドーバー海峡近くのアシュフォードとロンドンをこれまでの半分の40分で結ぶ。2009年12月に営業運転が始まる予定だ。

 「誕生の地に戻ったんですよ。日立のロゴが入った車両が駅に入ってきた時の感激というのは、もう本当に胸に迫るものがありました」

 社長の古川一夫は感激を隠さない。蒸気機関車が開発されたのは産業革命時代の英国だった。明治時代には日本にも伝わり、その後日本の鉄道技術は世界最高水準の「新幹線」にまで昇華した。その一翼を担ってきたのが日立であり、古川の目にはブリット・トレインは鉄道の故郷への凱旋と映った。

 日本ではほとんど報道されることもなかった日立の偉業。それでも、古川は改めて確信した。「日立は社会インフラで世界に貢献しなければならない」。

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