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会社の履歴書【2】パナソニック

松下電器、事業部制へ回帰-25万人をどう動かす 2

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2009年4月24日(金)

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 バブル崩壊後、日本企業は好むと好まざるとにかかわらず、大きな「変革」を余儀なくされた。金融部門の痛みは、日本企業の成長を支えた間接金融の縮小、株式の持ち合いの解消を迫り、急速に進展したグローバル化は終身雇用、年功序列の終焉をもたらした。その中で問われたのは企業の変革能力である。劇的に変化する外部環境にどう対応し、組織をどう変えていくのか。それに成功した企業もあれば、依然として対応し切れない企業もある。企業が「失われた15年」をどう生きたのか。1991年以降、「日経ビジネス」で取り上げた日本の代表的な企業の記事を「会社の履歴書」として取り上げる。
(文中の肩書き、名称などは掲載当時のままです)

パナソニック(旧松下電器産業)

 米ハリウッドの映画・娯楽会社MCMの買収――。パナソニック(旧松下電器産業)の1990年代は、エレクトロニクスというハードだけの会社からソフトまでを囲い込もうとする大きな路線転換から始まった。創業者の松下幸之助氏の死去以降、脱創業家を進めてきた当時の経営陣にとって、この路線転換は幸之助氏の路線からの決別でもあった。

 だが、その新路線はあえなく潰える。映画会社との企業風土の違いを乗り越えられず、その後のゲーム機開発も失敗。以降のパナソニックはまた、長い低迷の時期を迎えた。

 だが今、パナソニックは息を吹き返した。中村邦夫前社長の改革が奏功し、社内は活性化。中村改革はパナソニックへの社名変更で完結した。新生パナソニック誕生までの軌跡を振り返る。

* * *

1994年10月3日号より

事業部再建ストーリー
-「ミニ社長」、それぞれの経営判断

 松下の強さは昔も今も「事業部」の中にある。事業部長はいま何を考え、そして事業部はどう行動するのか。3つの開発ストーリーを見ると、松下の実力も見えてくる。

=文中敬称略(「人から始める経営」取材班)

自分のカネは無駄にできぬ
「商品も機械も工場も2分の1」作戦

 「大東日の出作戦」--。産業機器モータ事業部長の山口逸男は、事業部の再建計画名を、そう名付けた。「大東」は事業部の事務所と工場がある大阪府大東市のこと。「日の出」には文字通り、赤字脱却への強い思いを込めた。

 ここでは産業用の汎用モーターから、ミシン用の縫製モーターまで5種類を生産、販売している。事業部の歴史は古い。創業者の故松下幸之助が「家庭の電化製品に10台のモーターが備わる時代が来る」と見込んで、61年前につくった。

 高度成長期は幸之助の読み通り、飛ぶ鳥を落とす勢いがあったが、競合会社が続々と登場し、同事業部は赤字に転落した。10年前から高付加価値のモーターに転換していこうとの構想はあったが、ヒット商品が出ず、収益も日の目を見ないままだ。

“赤字会社”は本社から借金して投資

 2年半前、事業部長に就任した山口の持てる戦力は、数十億円の内部資本金、900人の従業員、敷地面積12.6万m2 の大東工場だ。各事業部は独自のバランスシートを持つ“独立会社”。産業機器モータ事業部は赤字会社ゆえ、本社から借金して投資しなければならなかった。他の事業部のように海外展開をしてコストを下げるだけの体力はない。国内生産で食べていける体質を築かなければならない。

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名言~日経ビジネス語録

日本の経営者は、経験を積んだ事業なら 失敗しないと思い込む傾向がある。

三品 和広 神戸大学教授