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会社の履歴書【2】パナソニック

松下電器、事業部制へ回帰-25万人をどう動かす 3

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2009年4月27日(月)

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 バブル崩壊後、日本企業は好むと好まざるとにかかわらず、大きな「変革」を余儀なくされた。金融部門の痛みは、日本企業の成長を支えた間接金融の縮小、株式の持ち合いの解消を迫り、急速に進展したグローバル化は終身雇用、年功序列の終焉をもたらした。その中で問われたのは企業の変革能力である。劇的に変化する外部環境にどう対応し、組織をどう変えていくのか。それに成功した企業もあれば、依然として対応し切れない企業もある。企業が「失われた15年」をどう生きたのか。1991年以降、「日経ビジネス」で取り上げた日本の代表的な企業の記事を「会社の履歴書」として取り上げる。
(文中の肩書き、名称などは掲載当時のままです)

パナソニック(旧松下電器産業)

 米ハリウッドの映画・娯楽会社MCMの買収――。パナソニック(旧松下電器産業)の1990年代は、エレクトロニクスというハードだけの会社からソフトまでを囲い込もうとする大きな路線転換から始まった。創業者の松下幸之助氏の死去以降、脱創業家を進めてきた当時の経営陣にとって、この路線転換は幸之助氏の路線からの決別でもあった。

 だが、その新路線はあえなく潰える。映画会社との企業風土の違いを乗り越えられず、その後のゲーム機開発も失敗。以降のパナソニックはまた、長い低迷の時期を迎えた。

 だが今、パナソニックは息を吹き返した。中村邦夫前社長の改革が奏功し、社内は活性化。中村改革はパナソニックへの社名変更で完結した。新生パナソニック誕生までの軌跡を振り返る。

* * *

1994年10月3日号より

20年周期の組織改変
-実現できるか、森下流シンプル経営

 森下社長は、事業部制の再強化、新規分野の統合を打ち出した。20年周期で組織の分散か集中かに悩んできた「ハムレット・松下」。そこに終止符を打つことができるか。ダークホース社長の力量が問われる。

=文中敬称略(「人から始める経営」取材班)

社長自ら異例の本部長兼任
「マルチメディア全社推進本部」発足

 10月1日、松下が異例の新組織を発足させた。「マルチメディア全社推進本部」(以下マルチメディア本部)だ。

 「DVD(デジタル・ビデオ・ディスク)事業推進室」など新設5部門と、松下のソフト戦略を考える既存の「ソフト事業開発室」の6部門がその傘下に入った。情報・通信担当の村瀬通三副社長や映像音響担当の山脇常務ら枢要な役員4人が担当として加わっている。

 森下社長は、「全社という名前を入れたのは、松下グループすべての企業のマルチメディアの芽を一緒に育てていく意味がある」と説明する。松下の各事業部門、研究開発部隊だけでなく、松下通信工業などのグループ会社も参画することになる大がかりな本部だ。

 森下社長が自ら描き、決断した組織だけに、説明にも力が入る。「マルチメディアの中で事業部を横断する事業、無から有を生み出す萌芽(ほうが)的な事業をこの本部が担い、事業化に向けて方向づけをしていく」。

 要は、マルチメディア関連の卵をバラバラに育てるのではなく、社長の手元に置いたふ化器で育成し、ヒナにかえそうという狙いだ。

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中谷 巌 「不識塾」塾長、一橋大学名誉教授