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会社の履歴書【2】パナソニック

松下の見えざる危機-「神様」を超えられぬ人々 2

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2009年4月30日(木)

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 バブル崩壊後、日本企業は好むと好まざるとにかかわらず、大きな「変革」を余儀なくされた。金融部門の痛みは、日本企業の成長を支えた間接金融の縮小、株式の持ち合いの解消を迫り、急速に進展したグローバル化は終身雇用、年功序列の終焉をもたらした。その中で問われたのは企業の変革能力である。劇的に変化する外部環境にどう対応し、組織をどう変えていくのか。それに成功した企業もあれば、依然として対応し切れない企業もある。企業が「失われた15年」をどう生きたのか。1991年以降、「日経ビジネス」で取り上げた日本の代表的な企業の記事を「会社の履歴書」として取り上げる。
(文中の肩書き、名称などは掲載当時のままです)

パナソニック(旧松下電器産業)

 米ハリウッドの映画・娯楽会社MCMの買収――。パナソニック(旧松下電器産業)の1990年代は、エレクトロニクスというハードだけの会社からソフトまでを囲い込もうとする大きな路線転換から始まった。創業者の松下幸之助氏の死去以降、脱創業家を進めてきた当時の経営陣にとって、この路線転換は幸之助氏の路線からの決別でもあった。

 だが、その新路線はあえなく潰える。映画会社との企業風土の違いを乗り越えられず、その後のゲーム機開発も失敗。以降のパナソニックはまた、長い低迷の時期を迎えた。

 だが今、パナソニックは息を吹き返した。中村邦夫前社長の改革が奏功し、社内は活性化。中村改革はパナソニックへの社名変更で完結した。新生パナソニック誕生までの軌跡を振り返る。

* * *

1997年8月25日号より

 7月15日、大阪市で開かれた関西日蘭協会のパーティー会場で、ワイングラスを手にした山下俊彦・松下電器産業相談役(同協会会長)が新聞記者に囲まれた。記者が松下電器の経営に話題をふると、積極的に話を始めた。

 「今の松下はおかしくなっている。孫というだけで(松下)正幸氏が副社長になっている。(役員陣の)8割が正治会長派。しかも、若い人ほど、世襲への批判が少ない。困ったことや」

 「事業は順調に拡大している。ただ、早晩影響は出る。まあ、見といて。今にわかる。年内にしかるべき措置をとる」

 翌日の朝刊でこの発言内容が伝えられると、松下電器の社内は騒然とした。その日の早朝に自宅で新聞記者に会った森下洋一社長は、困惑した表情を浮かべていた。「(世襲に対して)注意を喚起するといったところやないの。まあこのままほっといてよ」。

 しかし、山下氏がその後、「しかるべき措置をとる」との発言を否定したため、急速に事態は沈静化した。

 「事件」から1週間後、東京・大手町で開かれた恒例の記者懇談会。100人以上の記者が集まった会場で、森下社長は落ち着きを取り戻していた。その態度から、火の手はあまり広がらないという自信がうかがわれた。8月に入り、多くの社員は何事もなかったかのように、夏休みをとっている。

 表面的に見れば、一件落着した。だが、山下発言が投げかけた問題は、「世襲への注意喚起」程度ですませていいのだろうか。松下電器は本当に、エクセレントカンパニーとしての道を歩んでいるのだろうか

=文中敬称略(徳田 潔、多田 和市、寺山 正一)

松下幸之助の負の遺産

 最高責任者の責任の所在がはっきりしないという事態は、創業者の故松下幸之助氏が残した「負の遺産」である。幸之助氏に個人的に接した経験を持つある松下電器OBは「77年に山下氏が末席取締役から一気に社長に抜擢された人事の裏には、幸之助氏と女婿の正治氏の確執があった」と証言する。

 「幸之助氏は『正治は人の話を聞かないし、部下の話を聞かない』と言って正治氏を社長にしたことを後悔していた。幸之助氏は他人がいる前でも正治氏を罵倒し、正治氏はしかられても謝ろうとしなかった。正治氏は会長になる代わりに、自らの影響力を残すため、当時残っていた幸之助派の番頭を飛び越して若い山下氏を抜擢した」

 同じOBはこうも言う。「その後、山下氏の社長退任と同時に孫で正治氏の長男である松下正幸氏が取締役になったが、創業者はそれにも反対だった。だが、正治会長はむめのさん(幸之助氏の妻)を通じて幸之助氏の承諾を得た」。幸之助氏にとって「家族」はウイークポイントだった。仕事に打ち込んだせいで、妻や娘に十分に報えなかったという負い目があったのだろう。

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