「嫌われ成果主義の逆襲」

「年俸制がホンダを窮地から救った」

曽田浩 ホンダ取締役管理本部長に聞く

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2009年5月14日(木)

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 世界同時不況の影響でトヨタ自動車を筆頭にライバルメーカーが軒並み赤字に転落する中、黒字を堅持したホンダ。その同社も、バブル崩壊後の1990年代前半に経営不振に陥り、他社の後塵を拝したことがある。

 この苦境からホンダが抜け出す1つのきっかけとなったのが、1992年6月に4000人もの管理職に一斉に導入した成果主義型の年俸制だった。

 日本企業の多くで成果主義の導入が失敗に終わったとも言われる中、同社は成果主義を生かして危機を脱し、その後も制度に修正を加えて進化させてきた。その軌跡を曽田浩取締役管理本部長が語る。

 ホンダが管理職に年俸制を導入して、管理職1人ひとりの目標に対する達成度を問う形に大きく舵を切ったのは、1992年6月のことです。

 当時は円高とバブル崩壊によって不況が深刻化し始めており、当社もその影響をもろに受けていました。配当したら後はもう何も残らないぐらいの危機的な状況に陥りかけていたのです。

 こうした苦境を脱するために、当時の社長の川本(信彦氏)は、一連の経営改革を断行した。その1つが年俸制の導入でした。

ホンダらしさの象徴であるワイガヤを否定

曽田 浩(そだ・ひろし)氏
1956年生まれ。79年ホンダ入社。 2000年ホンダノースアメリカ副社長 。2005年執行役員 。2006年アメリカンホンダモーターカンパニー副社長 。2008年4月 管理本部長兼安全運転普及本部長。同年6月取締役に就任。
(写真:陶山 勉、以下同)

 この時、川本はホンダらしさの象徴であるワイガヤを否定しました。「今はワイガヤをやっている時間はない」と言って。ワイガヤをはじめとするホンダらしさを捨ててでも、もっと組織のベクトルを合わせて目標達成型で仕事をしろと檄を飛ばしたのです。

 確かに当時のホンダは、ワイガヤに象徴される自由闊達な雰囲気を重視するあまり、組織としての方向性を欠いたり、ワイワイガヤガヤやっているだけで物事をなかなか決められなかったりという状況に陥っていた。大企業病の兆しが見え始めていたわけです。

 そこで例えば、頭文字のアルファベットを並べて「KKD」と呼んでいた経験と勘と度胸に頼る姿勢を改めるために、TQM(総合的品質管理)を導入しました。

 事実ベースで状況を分析し、目標を立て、その達成のために挑戦し、失敗したら原因を分析する。こうしたある意味、実にオーソドックスな品質管理の手法を取り入れたわけです。それによって、組織のベクトルを1つにして、効率を極力上げていく。それで危機を乗り切る方向へ大きく舵を切ったのです。

 年俸制の導入もその一環でした。年俸制は仕事の仕方とセットになっています。組織の大上位の目標に沿って自分の担当領域の目標があり、その中で自分が果たすべき役割と目標がある。「1年を通してここまでやります」と約束して、その達成度を評価するという形に変わりました。

 それは成果主義なのかと問われれば、そうでしょう。ただしホンダとしては、個人の自発的なチャレンジまで捨て去るわけにはいかない。こうした理由から、組織の上位から下りてくる目標に加えて、「私はこれをやります」という個人的な目標も設定して評価する余地を設けました。

 同時に、目標をクリアできたかどうかだけではなく、そこに至るまでのプロセスや努力の度合いまでも評価するようにしました。

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著者プロフィール

中野目 純一(なかのめ・じゅんいち)

日経ビジネス記者。日経アーキテクチュア、日経コンストラクション、日経ビズテックの記者を経て、2005年12月日経ビジネス記者。2010年4月から現職。

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