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「敵に塩を送る」の北朝鮮対策

オバマ「プラハ宣言」以降の新非核原則と戦略

2009年6月9日(火)

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 皆さん、突然ですが、絶対にケンカに絶対に負けない方法、というのをご存じですか?

 ここで私の答えは「負けるケンカはしない。するケンカは必ず勝つと分かったものだけする」というものです。

 いや、長い人生の中では、明らかに勝機のないような戦い、卑怯な手ではめられて、理不尽な目に遭うこともあるでしょう、私もそんなのばっかりです・・・何の話をしたいかというと、実は北朝鮮、アメリカ、中国と日本の核軍縮戦略がトピックなのですが、まずは卑近な例から始めたいと思います。

「ケンカ」は負けない限り「無敗」

南北停戦ライン手前、イムジン河の展望台望遠鏡から覗いた、韓国側の監視小屋

 いつだったか、このコラムに「日本ではちょっとでも出る杭は寄ってたかって打たれる」と書いたら「そういうステレオタイプはやめろ。自分の周りではそんなの見たことない」というコメントを頂いたことがありました。よほど平和な環境で生活してこられたのだろうと、その読者の方を大変うらやましく思ったものです。

 少なくとも現在私が勤務している大学は、上記のようなことが、それはそれは凄まじいところです。大半は書けないことばかりですが、例えば親しい同僚先輩である坂村健教授が学内でかなりひどい目に遭った話を、NHKの「プロジェクトX」という番組で放映して反響がありました。あれもしょせんは放送に出せる話だけで、その実はもう、筆舌に尽くしがたい、嫌らしいことが山ほど存在します。

 どうしても勝てないケンカに巻き込まれて、ボコボコにされるということも、人生の中にはあると思います。それがない人生は、もう「幸せ」の一語に尽きるでしょう。

 しかし、そうではない時、つまり緊張や対立に巻き込まれた時、私たちは勝機をうかがって慎重に構えるべきだ、と思うわけです。勝ち目のない勝負は決してせず、これは勝てるというところで一挙に前に出るという戦略を立てることが大切です。

 私事ながら、子供の頃は身体が小さかったので、私は腕力で勝ち負けを決めるケンカを極力避けていました。しかし子供社会でも、どうしても対決が避けられない局面は出てきます。そういう時は、ともかく勝てる方法で勝つことに徹して、決して安目は売らない、「むしろ鶏口となっても牛後とはならない」2番手以下につかない戦略で、ガキの時分を過ごしました。お袋には「自分から筋の通らないことはするな。でも筋の通らないことでヤラレたら、絶対にヤラレたまま帰ってくるな」と厳しく教えられました。

 全然、平和主義ではないですね。母は防空壕の中で焼夷弾に被弾して、手足が一度取れたりした人なので、今考えるとかなり壮絶な「戦闘的平和主義者」だったと思います。ケンカ、というのは負けさえしなければ、必ず「無敗」の状況が続きます。

 小学校低学年時代、私はいじめっ子でもいじめられっ子でもなく、優等生というタイプでもありませんでしたが、子供なりの暴力は使いました。私は小学校1年生の時、父親を肺がんで亡くしたのですが、3年生くらいだったでしょうか、近所のコンクリート工場の社長の子で、私よりは身体の大きいA君から、実に憎たらしい風情の口調で「ててなし児」と言われたことがありました。

 その言葉の意味は分からなかったのですが、言い方が許しがたく思われ、この時は即断即決、粉砕することにしました。普段は口が達者な私ですが、この時は無言でゴム底の上履きを脱いで手に持ち、まず太ももあたりを引っぱたいたらびっくりして体勢を崩しました。すぐに横面をめちゃくちゃに張り倒したら、予想していなかったらしく、逃げていきました。が、やましいところがあったのでしょう。その後こちらから一言も発しませんでしたが、睨みつけるだけで視線をそらして、決して報復などはされませんでした。それから2度と、そういうことは誰も言わなくなりました。今風に言えば「キレると恐い」と思われたのかもしれません。これはまだ幼児に近い年配の暴力ですから、危険度も高が知れていたと思います。ただ幼児や子供は値引きということがないので、逆に恐いとも今は思いますが。

 逆に高学年以後は、殴り合いのケンカといったことはほとんどしたことがありません。それにはちょっとした背景があるのです。

「松尾さん」に習ったこと

 実は私は小学校4年生から6年生まで、デパートの手品売り場で実演販売をしていたお兄さんにマジックを習っていました。当時20代だったその人は、自分でも手品教室を開いていたので、そこで知的に戦略を立てて、大人がアッというようなパフォーマンスを構成する方法を緻密に習ったのです。

 学んだことの本質は、徹底して冷静に場を読んで「早業」と「相手の注意をそらして(ミスディレクションと言います)」難局を乗り切る「骨法」でした。これがケンカの技術の代わりになるのです。詳しくはまた、別の機会にと思いますが、これを知って以後、掛け合いでは一切負けなくなりました。また勝機のない立ち会いは一切しないことも覚えました。

 この「手品売り場のお兄さん」は松尾昭さんと言われました。この後15年くらいして、私が20歳も過ぎた頃、ふとテレビを見ると松尾さんが出ているので、大変にびっくりしました。

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