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コスモロジーはグローバリズムを超えて

常識の源流対論・湯浅 譲二 (その3)

2009年7月7日(火)

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伊東(以下――) 今回は、まず「伝統」との対峙の仕方、特に国際社会で「日本」の伝統という言葉をどのように使って考え、芸術的な発言をしていくか、という問題を伺いたいと思います。それから湯浅先生の本質的な「コスモロジー」、そして最後に現在作曲しておられる作品など、未来に向けてのお話をお願いします。

湯浅 譲二(ゆあさ・じょうじ)氏
1929年福島県生まれ。作曲家。慶應義塾大学医学部在学中から音楽活動を始め、52年に芸術家グループ「実験工房」に参加、ピアノ曲「二つのパストラール」でデビュー。作曲活動に加え、81~94年まで米カリフォルニア大学サンディエゴ校で教授を務め、現在も日本大学藝術学部で講義を受け持つなど後進を指導している。ベルリン映画音楽祭審査員特別賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、日本芸術院賞・恩賜賞など受賞は多数
(写真:大槻 純一、以下同)

湯浅 譲二 分かりました。

―― かなり欲張っていますが、思うのは、僕ら40代の人間には長年親しんできた湯浅コスモロジーの議論も、インターネット上には実はあまり存在していなくて、若い人たちの認識にもズレがあるような気がしまして・・・。

湯浅 そうかもしれませんね。

―― そこで、まず伝統からなんですが、伝統を考える、守るということと、旧弊を墨守して権威主義になるというのは、全然違うことだと思うわけです。

湯浅 それは全く違います。

―― そのあたりを具体的に、お伺いできればと思います。

真の伝統は自己革新を含む

湯浅 僕は伝統のいい面を受け継いで、それを敷衍(ふえん)していきたいと思う側の作曲家だと思うんですよ。じゃあ、そこで「伝統」は何かという問題ですよね。例えば邦楽の伝統というのは、ペンタトニック(五音音階)であるとか、そういうことか、と言うと。

―― ドレミソラ、とか、レミファラシとか、演歌みたいな四七抜き音階(4番目と7番目の音がない)であれば伝統だ、なんてバカな話があるわけもなく・・・。

湯浅 全然、全く、僕はまるで違うと思いますね。昔、僕らが若い頃に批判していたのは、ペンタトニックでドビュッシーやラヴェルのまがい物みたいな印象主義で書くような、そういう日本の作曲家がいっぱいいたわけですから、なんてアナクロニック(時代錯誤的)な、くだらないことをやっているんだろうと言っていたわけですね。

 それで伝統についていろいろ考えたわけですけど、例えば邦楽器を使うことも、それ自体が即伝統を守っていくことには、僕はならないと思うんですね。

―― 全くです。

湯浅 ですから伝統的なものは、例えば尺八じゃなくてフルートでもできるし、あるいは電子音楽でさえもできるとずっと思っていたんですね。僕の最初の電子音楽の「Projection Esemplastic(プロジェクション・エセムプラスティク)」なんかも、完全に僕は日本の伝統を意識しているんですね。

―― 実際、時間の構造というか、持続の経験が、お能のそれのように感ぜられます。

湯浅 そう、伝統とは何かというと、僕は具体的な伝統の現象を作り出してきている精神構造の問題だと思うんですよね。ですから、物の考え方、ウェイ・オブ・シンキングとか、あるいは感じ方とか、そういうものを受け継いでいって、表現するのは、何も伝統的なものとして残っている表現技術じゃなくて全くいいと思うんですね。

―― 非常に本質的な伝統観だと思います。

湯浅 ですから、まず時間の問題というのが・・・一番僕の中で西洋と日本との決定的な差は時間の問題だと思って、それを西洋楽器でやる場合にどうやって記譜していくかということで、僕は何十年も悪戦苦闘してきたと、振り返るとそういうふうに思えるんです。ですから伝統を受け継いでいくというのは、それを作り出してきた大本の精神構造というか、物の考え方とか、感じ方とか、そういうものを受け継いでいくべきだと思うんですね。そこから、実際の表現メディアが何であっても。

―― たとえ電子メディアであっても。

湯浅 そうです、そういう時にこそ、特に、今までにないものが作り出されていくと思ってきたわけです。

―― 本当の意味での伝統というのは、内部に自己革新の契機を必ず持っていると思うんですよね。伊勢神宮がずっと建て替えを続けることで、時代時代の木材その他の変化などはありながら、結果としての建築物を守り続けてきたような。新陳代謝があるから生命だって自己保存、ホメオスタシスが成立する、そういう伝統観。ただ旧弊の墨守なら、それは死んだ習慣に過ぎないでしょう。

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高坂 晶子 日本総合研究所調査部主任研究員