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ノーベル賞を「技術移転」で考える

――ド・ロ神父に学ぶ「共生」と「未来」

2009年10月20日(火)

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 週末を利用して長崎を訪れました。私たちの研究グループではドイツやイタリアで教会の音響状態を独自の方法で測定して、楽譜に書き残された情報を超えて音楽のメカニズムを明らかにする仕事をしています。同様の測定を国内、長崎教会群でも行いたいと考えて長崎大司教区や教会にご相談するべくやってきたのです。

 世界遺産登録のリストにも載っている「長崎教会群」は歴史的にも技術的にも極めて独特な存在です。というのも、江戸時代、仏教寺院を作っていた木造建築の技術から出発して、在地の素材と伝統を生かしながら西欧の意匠を持つ教会がゼロから創出されている。そして、その音響や調光が極めて優れている。電気も電灯もなかった19世紀後半、完全なオーディオ・ビジュアルの環境を木材や漆喰(しっくい)を駆使して作り出した。マイクもスピーカーもなかった時代に、完璧な「ミッション」=伝道の空間を、地のものだけで創り出しているのです。

「理系神父」の人材育成

 日曜日の早朝、まだ薄暗い6時からのミサに出るべく、土曜日の最終便で羽田空港を出て、長崎空港からはレンタカー。研究仲間の慶應義塾大学・武藤佳恭先生が長崎ご出身で、お兄様がペンションを経営しておられるので、そちらに寄せていただいて深夜にチェックイン、仮眠の後、午前4時半起きで西彼杵半島、外海(そとめ)の出津教会を目指します。どこの国でも、1クリスチャンとして朝一番のミサに参列させていただくと、実に清々しい気持ちで1日が始められます。

薄明の中、煌々と明かりの灯る出津教会(1882=明治15年創建)

 この出津教会は1882(明治15)年の創建なので、今年で創立127年目、日本国内では最も長い歴史を持つカトリック教会に属しますが、さらに、パウロ田口芳五郎(1902~1978)、ヨゼフ里脇浅次郎(1904~1996)という2人の枢機卿を輩出した、輝かしい伝統を持っています。

 1882年、この出津教会を「建てた」のは「パリ・ミッション」の一員として日本にやってきたフランス人の神父さんでした。マルク・マリー・ド・ロ(Marc Marie de Rotz 1840~1914)、地元では現在も親しみを込めて、「ドロ様」と呼ばれています。先ほど教会を「建てた」と書きましたが、「ドロ様」は多くの宣教師と大きく異なるところがあったのです。神父さん自身がこの教会を設計施工しているのです。

 それもただの施工ではありません。明治初期の日本人大工の棟梁と相談して工法を創案、自ら鋸(のこぎり)や鉋(かんな)、佐官の鏝(こて)などを手にして村人と共に働いて、無から始めてこの教会を本当に作った人物なのです。ド・ロ神父は施工の現場で問題が発生すると、そこで図面を検討し、計算し直して修正を施しました。現場で働いているのは、江戸時代そのままの木造建築の大工たちです。見たこともない「建築法」を駆使し、徹底してプラクティカルなド・ロ神父の仕事は、若い大工の棟梁たちに決定的な影響を及ぼしました。「ドロ様」の下で学んだ大工たちは、明治から昭和にかけての時期を生き伝統的な木造建築から石造、レンガ造りを経てRC(鉄筋コンクリート)工法までをカバーし、後に「棟梁建築家」と呼ばれるパイオニアとして育っていきます。「ドロ様」は遅れた東洋の島国だった日本に高度な科学技術を移入した、現地にも、また日本全体にとっても、圧倒的な恩人と言わねばなりません。

 さらに決定的だったのは現地で第一級の人材育成を続けたことです。日本人自身に、最も進んだ技術を駆使しつつ未来を切り開く力を与えた。「ひと」に根を持つ技術移転に人生を捧げて、ド・ロ神父は長崎で生涯を終えました。あえてここでは「理系神父」様と書くことにします。「理系神父・ドロ様」の人生は、21世紀の日本に絶大な指針を与えていると思うのです。

「理系神父」マルク・マリー・ド・ロ(1840~1914)と、彼が常用した技術書(ド・ロ神父記念館蔵)。いたるところ汚れ、端がささくれながら、大切に使われてきたことが分かる本の端々から、現場人「ドロ様」の仕事ぶりが偲ばれる

ノーベル賞のキーワード

 さてここで「21世紀」を考えるべく、明治時代の長崎から現代の国際社会にいったん目を転じてみたいと思います。昨2008年は多数の日本人科学者がノーベル賞を受賞したために、関連の報道がたくさんありました。前回も記したように、私もこの連載でノーベル賞の特集を組み、『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新書)を出したりもしたわけですが、今年は「日本人が関係ないから」(?)か、関連の報道がさっぱりなされません。バラク・オバマ米大統領の「ノーベル平和賞」だけが変に報道される割に、ほかの5つの賞についてまともに解説する科学雑誌などではない一般メディアは、まだ目にしていません。

コメント3件コメント/レビュー

大変すばらしい意見でした。でもひとつ疑問があります。何故当時の世界の中で日本は成功できたのでしょうか。当時の清朝はインドは何故独立を保てず植民地となり日本は独立を維持し発展できたのか。もし、日本が独立していたとしても、技術を受け入れる能力が無かったら決して移転された技術も花開かなかったでしょう。何も日本が素晴らしい民族だと言っているわけではありません。ただ、技術移転を受けて自国を発展させるためには、思想的な自立と高い倫理感とそして極めて高い学問的な基礎が必要ではないのでしょうか。技術移転をするとしても、日本の技術を受け入れわがものとすることができなければ全く無意味です。今のポスドクにそのようなことができるでしょうか。むしろ発展途上国に必要なのは職人ではないでしょうか。(2009/10/20)

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いただいたコメント

大変すばらしい意見でした。でもひとつ疑問があります。何故当時の世界の中で日本は成功できたのでしょうか。当時の清朝はインドは何故独立を保てず植民地となり日本は独立を維持し発展できたのか。もし、日本が独立していたとしても、技術を受け入れる能力が無かったら決して移転された技術も花開かなかったでしょう。何も日本が素晴らしい民族だと言っているわけではありません。ただ、技術移転を受けて自国を発展させるためには、思想的な自立と高い倫理感とそして極めて高い学問的な基礎が必要ではないのでしょうか。技術移転をするとしても、日本の技術を受け入れわがものとすることができなければ全く無意味です。今のポスドクにそのようなことができるでしょうか。むしろ発展途上国に必要なのは職人ではないでしょうか。(2009/10/20)

本当に身のある海外貢献とは、と考えさせられます。一体わが国は今まで何をしてきたのでしょうか?ODAだのと検証もせず(したくても不可なのか)無駄な資金を投じて。民間の非営利団体が汗するのをもっと援助するなり出来ないのか。実態を現地で見る体験が無いから外務省の役人たちは机上と頭脳で計算するばかりなのだろう。人間的な理解はそこに無い。人材の開発はこの国の基本から始めなくてはならないのだろう。(Hokorowitz)(2009/10/20)

大変興味深く拝見いたしました。カトリック信徒の建築技術者です。日本のODAなどは、海外に進出している日本企業に仕事をばら撒いているように感じます。本当にその国のためになっているでしょうか。まだ、上総掘りのような井戸掘削技術を現地の人に教えるほうがより人々のためになるように感じます。身の丈にあって持続可能で、かつ現地の人々の生活基盤を支えつつ、またその基礎技術の上に彼ら自身の手で発展させていけるような技術移転こそが、真に隣人としての行為だと思います。最近の流行り言葉ではないですが、上から目線ではなく、共に歩むものとしての姿勢が大切ですね。会社をやめて現地でドロ神父様と同じような仕事をしたほうが、生きがいが何倍にもなることでしょう。家族もいるため、そこまでする勇気を持ち合わせておりませんが、まずは五島列島に巡礼にいきたいと思うきっかけとなりました。著者と編集者の方々に感謝いたします。神に感謝(2009/10/20)

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後藤 忠治 セントラルスポーツ会長