
前回は現行の人事評価制度、特に成果主義、にはいろいろな問題があることを述べた。その問題をもう少し違う観点から考えてみよう。
図1のような業務成績を残している2人の従業員がいる時、AとBのどちらが先に昇進するのだろうか。もちろんAであろう。
図2は図1におけるAとBの成績をもっと長い30年ほどの長期にわたって比較したものを示している。この図では、初期の時点ではAはBより上でAはBより良い仕事をしたということで、Aは昇給し、Bは足踏みする。
人間の評価はばらつきでしか表すことができない
ところが後の時点では、BはAより成績が良く、Bは昇給しAは足踏みすることになる。いわばA’とかA”は、Aという人の真の評価ではなく、常に変わる値の一観察点でしかないのだ。

どの人にとっても人間の評価はばらつきでしか表すことができず、ひとつの数字で評価すること自体に無理がある。これらの時系列を右側に投影すると、AとBの分布ができる。AとBの場合、結局どちらの成績が上だったのかは、長期的に見れば大差ない(図2の右端のばらつきを参照)。
非常に多くの人々にとって、これに似た状況があてはまると考えられる。つまり、観察点ごとに評価を下すことにあまり意味がない場合が多い。
自分にとって不公平と思われる人事評価に対して激怒したり傷ついたりする人は、米国では非常に多い。私が米国にいたころ、郵便局で働いていた職員が、高圧的な経営に従ってノルマに追いまくられた上、目標に達せず勤務評定を下げられ頭にきて、機関銃を持って局内に乱入し、何人も殺したという事件が1回ならず起きた。
この例ほど大々的に社会に取り上げられたわけではないが、毎年何人かの管理職は年次評価の不満から部下に銃で殺されているようだ。
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