もしかしたら、あなたの身近にも存在しているかもしれない写真集を所持していると犯罪になるかもしれない、というお話を今回は取り上げてみましょう。自民党政権末期の国会で議論になったので、一部の方はご記憶かもしれません。
150万部のミリオンセラーとなった宮沢りえの写真集『サンタフェ(Santa Fe)』(撮影・篠山紀信、朝日出版社)は「児童ポルノ」に当たるか? という話です。社会風俗の話題のようですが、実はこの問題の背景にはグローバル・ネットワークへの法的規制をめぐる国際政治の重要なポイントがいくつも存在しているのです。
昔「ビニ本」というものがあった
女優の宮沢りえは1973年4月生まれということですから、2009年12月時点では36歳、年女ということになります。当初のグラビアアイドルから演技派女優への脱皮に成功し、すっかり落ちついた観のある彼女ですが、1991年、18歳の時に発売された写真集『サンタフェ』は、上記のようなミリオンセラーとなり、一種の社会現象を引き起こしました。
端的に言えば「ヘアヌード写真の実質解禁」です。
この頃、私は20代後半でしたので、「それ以前」と「それ以降」の変化をよく覚えています。私が中学高校生の頃(1970年代後半〜1980年代初頭)には、ヌードグラビアなどが掲載された書籍がビニール袋に入れられて店頭に並ぶ「ビニ本」と呼ばれる出版物が一世を風靡したりしていました。21世紀の今日から考えると、実に牧歌的というか、のどかな時代でした。街の角々には、表面が銀色で昼間は何も見えないのに、なぜか夜になると中が見えるようになる怪しげな本の自動販売機などが存在し、私も中学生時分は、安手な紙と印刷の、なんとも言えない猥雑さに「大人」の空気を感じたりしたものでした。
が、当時のそうした「ヌード写真」(この言葉自体、骨董品的な響きがしますね)は今思い起こすと極めて穏やかな表現しか採っておらず、恥部が明瞭に画面に提示される、などということは、ほとんど「ソビエト連邦の崩壊」と同じくらい、想像だにすることのできないものでした。私同様、冷戦中期までに思春期を過ごした人なら、VHSベース(アナログ)のエロビデオなどという存在すら、予測の範疇外にあったことを思い出されるかと思います。
当時争われていた、大島渚監督の映画「愛のコリーダ」のわいせつ性をめぐる裁判なども、今日とは比べ物にならぬほど、穏当な表現をめぐって議論されていたと思います。しかしこれとて、さらに以前に問題とされた「四畳半襖下張」の表現や、澁澤龍彦たちが闘った「サド裁判」など文字による描写とは比べ物にならぬほど、直接的な表現であったことは間違いありません。
いずれにせよ「ヘアヌード」などというものは想像だにすることができませんでした。それがいつの頃からか、普通に駅構内の店舗で売っている雑誌にも、そうしたグラビア写真が、あるケースでは袋とじで、別のケースでは堂々と巻頭カラーページで、掲載されるようになったのです。
インターネットとヘアヌード
日本で、普通に駅やコンビニエンスストアで売っている雑誌グラビアの「ヘアヌード」が実質的に解禁された背景には「IT(情報技術)革命」が存在します・・・何も冗談で言っているのではなく、大学で「情報処理」の授業でも話してきた現実の出来事です。
1995年前後から急速に一般化したインターネットによって、私たちは日常的に、国内法の規制と無関係に海外のサーバーにアクセスすることができるようになりました。欧米では写真などによる性表現の規制が日本と全く異なっています。少し前なら、北欧に旅行に行った人がこっそり持ち帰って来たりすると拝むことが可能だった「雑誌」と同じようなものが、ネットワーク上では(わざわざスカンジナビア半島まで出かけずとも)いながらにしてモニター上に現れてくる! プリントアウトすることもできる!! 1995年前後にティーンから20歳近傍の年配だった人たちには、これは劇的な変化だったに違いありません。
1990年代、東京大学の情報処理棟で、この手の写真を印刷しようとして、途中でプリンターが詰まってしまい、そのまま放置したために事実が発覚した学生がいました。大学の情報処理システムですからアカウントからすべてが発覚し、その学生は大学のコンピューターを使う資格を停止されて、それが原因で留年しました・・・という実話を、必ず東大では全新入生向けの最初のオリエンテーションですることになっています。
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