これまでのあらすじ
団達也は、会計士、西郷幸太の紹介で日野原工業を買い取ることを決めた。創業者の日野原五郎は、自らがガンに侵されていることもあり、会社を安楽死させたいと西郷に依頼していたのだった。
達也と西郷は、翌日に手術を控えた日野原が入院する病院の特別室を訪れた。経理部長の間宮清二が作った株式譲渡契約書を見せられた達也は、内容に不満を覚えていったんは署名を拒否した。
しかし、「平成21年12月25日の財務内容が貸借対照表の通りであり、簿外債務等が存在しないことを株式譲受人に対して保証する」という文言を入れるのは勘弁してほしいという日野原の願いを聞き入れ署名した。
「お元気そうでなりよりです」
達也は明日から始まる新しい自分のビジネスについて話を聞いてもらおうと、久しぶりに伊豆で隠居生活を送っている恩師、宇佐見の別荘を訪れた。
宇佐見は愛弟子の達也を心から嬉しそうな表情で迎え、応接間に案内した。窓越しには真っ青な空を背景に、大室山がくっきりと浮かんでいた。
「素晴らしい景色ですね」
「正月にこんな美しい大室山を見るのは久しぶりだな」
宇佐見は感慨深げに外の景色を眺めた。
「今年はどんな年になるでしょうね」
達也は唐突に聞いた。だが宇佐見は達也の質問には答えず、こんな質問を投げかけた。
「おまえは“CRICサイクル”という言葉を覚えているか」
達也は大学のゼミで宇佐見から教わったことを思い出した。モルガン・スタンレー証券のチーフ・エコノミストのロバート・フェルドマンが指摘した日本の経済対応のことだ。
「問題があるのに何も対策を打たないでいると危機(crisis)になる。すると、あわてて応急処置(response)をする。それによって状況が少し改善(improve)すると、すぐに安心(complacency)してしまう。そして、再び危機を迎え、応急処置をとる。これらの頭文字をとってCRICサイクルと呼んでいるのだが、日本はずっとこのサイクルを繰り返している。問題は、なぜCRICサイクルから脱却できないのかということだ。達也、おまえはどう思う」
宇佐見は大室山を見ながら聞いた。
「これまで本気で脱却しようとしなかったからです」
と達也が答えた。
「その通り。危機が来ると急場しのぎの対策をとる。だが、世界景気が回復してくると、危機の根源を除去する努力を怠ってしまう。構造問題に手をつけないまま、CRICサイクルを繰り返してきた」
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