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最後に“穏やかに”笑うのはメーカーだ

第1回 なぜ私が製造業の分野で起業したのか

  • 永守 知博,中西 未紀

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2010年2月24日(水)

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 「なぜ君は、そこにレールがあるのに、こんなドブ板営業をやっているんだ?」

 営業訪問先の社長は、彼の経歴を知ると、ほとんど必ずと言っていいほど、この疑問を口にする。

 そんな彼の名は、永守知博。34歳。

 明治大学大学院卒業後、富士通でエンジニアとして勤務。退社後に米マサチューセッツ州にあるサフォーク大学でMBA(経営学修士)を取得した。帰国後は日本電産グループで働き、2009年4月に起業した。

永守知博・エルステッドインターナショナル社長。製造業向け支援サービスを手がけている。日本電産を創業した永守重信社長の次男(写真:大槻純一、以下同)

 名前と経歴でピンと来る方は多いだろう。そう、永守は、ハードディスク駆動装置用精密小型モーターで世界8割のシェアを誇る日本電産を一代で築きあげた永守重信の息子である。

“遅れ咲き”のナナロク世代

 かつて父は、日本電産の創業時に、会社の経営3原則の1つとして「非同族会社」を目指すことを掲げた。この長引く不況のさなか、息子はそれをまっとうするかのように起業。現在、3人の社員とともに、自ら“足で稼ぐ”営業で全国各地を飛び回っている。

 全国行脚のための主な交通手段は深夜バス。経費削減という理由だけではなく、「朝一番から営業に回ることができるから」と、わずかな時間も惜しんで営業活動に精を出す。

 「営業でいろいろな社長の話を聞くと、社長の息子というのはそれまでお金には苦労せずに生きてきたから、後を継ぐと急にお金に苦労したりして辞めてしまう人も多いんだそうです。もしかするとどこかで『きれいな仕事でお金をもらいたい』と思っているところがあるのかもしれないですね。でも、起業をしたらドブ板営業をやるのが当たり前だし、どんなに偉大な父がいても、営業先では何の役にも立たないんですよ」

 永守が生まれたのは1976年。いわゆるナナロク世代だ。ミクシィの笠原健治やグリーの田中良和、ドリコムの内藤裕紀、はてな(京都市)の近藤淳也などのIT(情報技術)起業家と同世代である。この世代は、ちょうど大学時代にインターネットが広く普及しており、彼らの発想に影響を与えたと言われている。

 ただ、“遅れ咲き”の永守が選んだジャンルは、同じインターネットでも、ほかのナナロク世代とは少し様相が違っていた。顧客として選んだのは「製造業者」。ポータルサイト「Makers-IN(メーカーズイン)」を立ち上げたのだ。資金力に乏しい中小メーカーでも、技術力を売り込んだり人材を募集したりできる場の提供である。

 起業を本気で決意したのは2008年春に遡る。永守はシンガポールへ向かう飛行機の中にいた。シンガポールにある、日本電産グループ会社に勤めていた頃の話である。

 機上で永守はB5判のレポート用紙に「自分が今できることは何か」を、1つひとつ大きな文字ですべて書き出していった。

 この作業を通じて、自分が目指すべきことに思い当たる。製造業の家に生まれ、製造業で働いてきた永守が今できるのは、いい製品や技術があっても売り込みができない中小メーカーに“拡販の場”を作ることだった。

 「ずっと考えていたことでした。特に日本の製造業は、日本のマーケットに固執する傾向があります。でもこの先、日本ありきの考え方では、シェアを拡大するのにも限度がある」

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