65歳になった今も、現役バリバリ。たとえ「いつも仕事で家にいなかった」父とは言え、永守知博が受けた影響は決して少なくない。
「父はいい年をして、まだまだチャレンジを続けているので、その姿は単純に格好いいですよね。たぶん、死ぬまでやるんだと思いますけど」
子供の頃からとにかく“1番”が好きだった父、日本電産社長の永守重信。
「野球をやろう」と言われれば、「ピッチャーをやらせてくれるか?」「4番を打たせてくれるか?」と聞く。断られれば、「野球なんかやめや」。鶏口牛後を地で行く信念は、幼い頃から貫かれてきた。
数自体にもこだわった。銭湯では1番の下駄箱しか使わない。電車の指定席も必ず1番を取る。食堂も1番テーブルに座る。一種、ゲンかつぎのようにも見えるが、実際に父は会社を興し、精密小型モーターという分野で世界一のシェアを手にしている。
家の手伝いは、当たり前のこと
エルステッドインターナショナル社長である永守は、そんな1番好きの父を持ちながら、1976年2月22日に生まれた2男である。本人曰く、「だから、ゾロ目好きのギャンブル好き(笑)」。
家は京都市の大枝(おおえ)にあった。酒呑童子の伝説や、百人一首でも詠われた「大江山」は、この地名に由来する「大枝山」だったという説もある。
緑豊かで、のどかな土地柄だった。自営業や農家の子どもが多かったこともあり、子どもは親の手伝いをするのが当たり前の文化としてそこにあった。永守家の近所に住む“グレた少年”は、派手な服装や髪型で、親に向かって「おい、なんやねん?!」と大口を叩く。ところが、よく見ると、しっかりと家の一輪車をひいている。家の手伝いだけはこなすのが、大枝の“不良”というわけだ。
永守もまた、よく手伝いをする子供だった。風呂を掃除したり、畑の雑草をむしったりしていた。もちろん、「手伝いをすれば小遣いがもらえる」といった制度はない。
それでも、特に違和感を覚えたことはなかった。自分も風呂を使うし、畑で採れた野菜を食べるのだから、「掃除や草むしりは当然でしょう」という意識の方が強かった。ただ、後に大学生になって一人暮らしを始めた時には、「なんて楽な生活なんだ!」と思うことになる。
“手伝い癖”の一端を示すエピソードがある。永守が小学校へ入ってすぐ、1年生の春のことだ。ある日、担任の先生から母に電話があった。「永守くん、今日、学校で具合が悪くて吐いてしまったんです・・・」。
教室で嘔吐してしまった永守少年。普通の子どもなら、その場で泣いて終わりそうなものである。永守は違っていた。自らぞうきんを絞り、自分が汚してしまった床を掃除し始めたというのである。
その姿に担任の先生はあまりに感動して、「どうやって教育されているんですか?」と母に聞いてきたという。「普段から家で床の拭き掃除をやっていたから、その延長だったのでしょう」と本人は当たり前のように話すが、実際はなかなかできない芸当である。
“怒ったら怖い”女性陣
父は仕事でほとんど家にいなかったが、その分、祖母と母の躾は厳しかった。
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