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技術の先を読んでチャンスをつかめ!

――常識の源流対論・北城 恪太郎 (その3)

2010年2月16日(火)

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伊東 乾(以下 ――) 先週から長崎のカトリック教会群、それから名古屋の真宗大谷派東別院関連の音楽音響測定スケジュールが連休類と重なってしまい、進行スケジュールが大幅に遅れました。逆に、舞台裏をお見せするようですが、原稿作成と校正、念校などにはできる限り細心の注意を払って毎週努力しております。

 今回は「常識の源流探訪」連載で初めて2週間の休載のような形になってしまいました。申し訳ありません。また楽しみにしてくださっている読者の皆さんからお問い合わせを頂いたり、伊東の身体をお気遣いいただいたりしてしまいました。大丈夫でやっておりますのでどうかご案じなく、まず最初に心からお詫び申し上げます。

 さて、前回まで2回、難局に直面する日本経済を活性化してゆく観点で「ベンチャーの応援と制度設計」「人材育成~教育、特に大学とその改革(の難しさ、という話になりました)」などに焦点を当てていただいたわけですが、また多くの読者の方は現在ご所属があるでしょう。そこで、とりわけ民間サイドから、どうしたら沈滞しがちな状況を活性化してゆけるかという第三の論点を今回はお伺いしたいと思うのですが・・・。

北城 恪太郎(以下、北城) 挑戦する人を応援しよう、という話をしてきたわけですが、いろいろな人が、何かに挑戦してみようという気持ちを持つかどうかが、何より最初に大切だと思います。

―― 本当ですね。しばしば組織論で「インセンティブ」が問題にされます。動機づけと言いますか、1人ひとりが内側からやる気になる職場、内発的な動機の芽を摘み取らない職場をどうやって作ってゆくかが話題になるわけで・・・。

北城 恪太郎(きたしろ・かくたろう)氏
日本アイ・ビー・エム最高顧問。1944年4月生まれ。67年3月に慶應義塾大学工学部卒業、72年6月に米カリフォルニア大学大学院(バークレー校)修士課程修了。67年4月に日本アイ・ビー・エム入社、88年3月に常務、89年3月に専務、91年3月に副社長を経て、93年1月に社長。99年12月にIBMアジア・パシフィック プレジデント兼日本アイ・ビー・エム会長。2007年5月より現職。また、2003年4月から社団法人経済同友会の代表幹事を務める。2007年4月より終身幹事。(写真:大槻 純一、ただし洗足学園音楽大学の風景は除く)
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北城 受験は良い例ですね。一般的には「いい大学に合格すれば、いい会社に入れる」というのが、勉強の動機づけになると思われがちです。しかし、例えば慶應義塾大学の付属高校みたいに大学受験がない子供たちは、面白いと思ったら、そのことに熱中できます。そこから異才・異能と呼ばれるようになる人が出てきやすいと思います。

―― 全くその通りだと思います。僕も、大学こそ受験しましたが、中高一貫校で高校受験がなかったおかげで10代半ばに今の仕事の基礎を身につけることができた経験があります。

坂村健氏のインセンティブ

北城 そういう意味で、前にもお話に出たように、私立・民間校にはそういう良さがあると思います。私も中学から慶應義塾ですが、たまたま進んだ大学のクラス80人の中で、中心となって活動していた学生は、慶應中学、高校から来ている学生が多かったです。

―― 実際に慶應義塾で教えて、そう思いました。分かりやすい例ですが、1999年、僕に東京大学の人事があった時、新しく「総合情報学環」というものを作るという。そこに「情報とシステム」なる「学域」というものを置いて教授を坂村健さん、私が助教授という、そういう形でスタートしたんです。

北城 そうですか。

―― 小講座制なので、研究室としては独立していて、僕が彼のアシスタントだったわけではないんですが、坂村さんも中学から慶應義塾のご出身ですよね

北城 彼は慶應義塾の中等部です。

―― しばらく前にNHKの『プロジェクトX』で、彼のTRON(トロン、組み込み型コンピューターの基本ソフト)の話が紹介されてブームにもなりましたけど、テレビではみんな美化されちゃうんですよね。こういう話をすると本人は嫌がるかもしれないけれど、実際、坂村さんが学内で受けてきた、さまざまな迫害というか嫌がらせ、アカデミックハラスメント。教授にしないとか、理系の優秀な学生を研究室で採用できないようにするとか、もういろんな逆風がありながら、それに打ち勝って、世界で初めて携帯電話でインターネットにアクセスできるOS(オペレーティングシステム)を彼のITRONで実現した。いわば坂村さんは東大にあって東大ではない、村八分が結果的に作り上げた学内ベンチャーだったわけです。

 そんな坂村さんという個人の発想と努力がなければ、今日のような形で携帯電話が電子メールを送受信するという21世紀は、来ることがなかったわけですね。

北城 そうなんですね。

―― ではその間、坂村さんが潤沢な公的研究資金を持っていたか、あるいは莫大な報酬を受けていたかというと、そんなことは全くなくて。TRONグループは様々な圧力の中で企業の有志が力を合わせて維持してきたものだし、坂村さん本人も公務員の薄給で、現在も含めて決して待遇上いい形で大学に遇されているわけではない。

 動機や関心が全然違うところにあるわけです。学生時代から見ていて、なるほどと思ったのは、彼はお金が欲しいとか、名誉が欲しいとか、そういうのが全然ない人でしょう?

北城 はい、そうだと思います。

―― 自分で考え出したことを、自由に、自在に実現したい。あの人の純粋な熱意が、多くの企業人の心を動かして、あれだけの逆風の中で結局TRONを成功に導いたのだと・・・。

北城 そうです。これは本当に人徳ですね。

技術が読めれば10年先が見える!

―― 僕自身のケースでは、例えばこんなことがありました。1997~99年に「題名のない音楽会」というテレビ番組の監督業で食っていたのですが、1998年に音楽の脳認知で博士を取ったタイミングで慶應義塾に兼任講師で呼んでもらったわけです。で、慶應義塾で始めた4カ月目に東大に新しい総合情報部署を作ることになった。直前までテレビで音楽番組を作っていた私が、坂村さんから日常的にユビキタスコンピューティングの話を聞くようになって、いろいろ考えるわけですね。

 例えばこの演奏は2001年6月に安田講堂で弾いたベートーベンの第5交響曲ですけれど、当時まだ出たばかりの小型CCDカメラを27回路、オーケストラの中に入れて「これから訪れるであろうブロードバンド社会」を念頭に、ソニーと協力して(というか大賀典雄さんにお世話になって)行った「ストリーミング・ネットワーク配信実験・演奏」です。もうこの当時から、ゆくゆくは広帯域化して音声でも動画でもP2P(ピア・トゥ・ピア、サーバーを介さずに端末同士が直接データをやり取りする高速通信技術)、つまりあらゆるユーザーが自由に放送局になり、また受信も自由にできる、ブロードキャストからマルチキャストになってゆくというのは、技術が読める人間には誰にでも分かっていた。「IT(情報技術)」が「ICT(情報通信技術)」と呼ばれるようになる、なんて名前は分からなくても、何が起きるかは明確に予想がつく。

 そこで、そういう目的に即してネットでフリーアクセスできるオーケストラ演奏収録を行ったわけですが、その当時から、今みたいに膨大な個人ユーザーがYouTube(ユーチューブ) やTwitter(ツイッター)で音声動画のクリップをアップロードして、そうしたデジタルエージェントがネットワーク上を動き回るだろうことは分かっていました。でもそれが社会で実現するまで10年かかりました。

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