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「非実在青年」都条例案:「机上空論」の穴だらけ

――「ロリコン」と「いじめ」から考える<ネット実名性>

2010年3月16日(火)

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 今回は珍しく、書き下ろし原稿に関して(続きものの対談でなく、という意味です)・・・たぶん連載を始めてから最初と思いますが・・・前回の末尾で次回のテーマ「ロリコン」と「いじめ」から ツイッター(Twitter) などメディアの問題を考えてみる、を予告してみました。これについて僕のツイッター上で「東京都の青少年育成条例の話題を扱うのか?」とお問い合わせを頂き、「まさにその、都の言うところの<非実在青年>の話題が半分ですよ」とお答えしたりしました。

 さてはて、偶然とは面白いもので、小田嶋隆さんの先週の記事が「『非実在青年』という概念はアダルトっぽくないよね。」 で<非実在青年>がモロにカブってしまいました。僕は小田嶋さんの軽妙な筆致には到底及びもつきませんが、今回は同じ問題を巡って、ちょっと違うアプローチを考えてみようと思っています。

デジタルデバイドとネカフェ難民

 前々回前回と、「常識の源流探訪」連載ではツイッターなどのネットワーク・メディア情報の「信頼性」と「実名発信」の関連を考えているわけですが、これらは基本的に「情報を発信する本人が、自ら署名して実名を発信する」ということの意味を考えているわけです。

 非常に分かりやすい例として、原口一博総務相がチリ地震の報に接して、閣僚自らツイッターで津波の警戒情報を発信したケースを取り上げました。ここでは新聞など報道機関による情報よりも、閣僚が先にツイッターで情報発信することの意義や是非が問われています。むろん唯一の結論が出る問題ではなく、継続的に議論が続くべきことと思います。

 前回記事への、ツイッターではなく日経ビジネスオンライン側コメント欄に読者の方が寄せて下さったご意見に、ツイッターというメディアの利用者がいまだ比較的少数に留まっている現状で、少数者に優先的に情報を発信するのはいかがなものか、というものがありました。仮に新聞などエスタブリッシュされたメディアの立場で考えると、とても典型的なご意見の例を頂いたように思いましたので、ここで紹介させていただきました。

 この種の議論は、実は問題を先送りにしたい時に官僚などもよく使うのですが、結論から言えば話に、白黒がつかないものと思います。

 現実問題として「線引き」を考えてみましょう。仮に、ツイッターの利用者が何千万人を超えたら<このメディアは十分日本国民に普及した>と言えるのでしょうか・・・? 線引きのラインは難しいですね。なるほど、ラジオやテレビは十分に国民に普及したと言えるかもしれない。ではインターネットはどうか?

 1998~1999年頃、ネットユーザーとそうでない人とが社会的に区別されてしまう「デジタルデバイド」の危機が喧伝された時期がありました。ネットにつながらない人が社会的に取り残され、マイナーな位置に置かれかねないというような議論です。さて、ネットバブルなどを経て2005~2006年辺りを過ぎる頃には「ネットカフェ難民」などという言葉が生まれました。派遣社員切りで生活が逼迫した人が、時々刻々ネット上にコメントを残しながら破壊的な犯罪行為に走っていったケースも多数報告されています。

 さて、そうしたもろもろも見たうえで、2010年3月の時点で、インターネット/ウェブサイトという媒体は、日本国民全般に「十分に普及した」メディアである、と言うことができるでしょうか?

災害情報伝達の「必要条件」と「十分条件」

 最新の統計を知りませんが、結論的に言えば、現時点でもインターネットと無関係な生活を送る、少なからざる数の日本国民がいるのは間違いない。つまり、もし地震など天災が起きた際「インターネットで災害情報を流しておけば十分全国民に伝わる」という情報伝達の<十分性>は確保されていないと思います。とりわけ高齢者など、災害弱者というべき人に、ネットはかなり無力でしょう。

 では<インターネットは不十分なメディアだ。そこに災害情報を流しても、一部の人間にしか伝わらない。いかがなものか>などと言うことが2010年の現時点で意味を持つものであろうか? 答えはあえて申しません。皆さんご判断ください。

 翻って言いましょう。かつて1995年、いまだインターネットが全く普及していない頃に発生した阪神大震災の時、数少ないネットユーザーが懸命の情報交換を行ったおかげで、主要な情報線が寸断され、また大手メディアならデスクが採用を逡巡するかもしれない一次情報が伝達されたことが、どれほど大きな意味を持ったか。「火災の中でどちらに逃げるか」といった、公的放送にはそぐわないとデスクが切って捨てるような情報によって、実際に救われた命がある可能性が高いと思います。

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