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「中国での日本人処刑」に国権を考える

――「遠山の金さん」」の三権分立論(2)

2010年4月13日(火)

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 前回の議論に、僕のツイッターを含めてたいへん建設的なコメントを多数頂きました。ありがとうございます。ただ、あれをまとめたのは確かに私ですが、内容は本質的に刑法の團藤重光先生から教えていただいた内容を整理しただけのことなので、瑕疵があれば私の責任ですが、内容に美点があればすべて團藤先生のご指導によるものです(参考:「破壊と創成から考える『裁判員制度』」「法科大学院は『セミの抜け殻』でいいのか?」)。

 1945年、焦土と化した日本にGHQ(連合国軍総司令部)が進駐してきて、新たに憲法から国を創り直すことになった。その時、刑事法体系をゼロから書き直された張本人が團藤先生にほかなりません。戦後60年を支えた「團藤刑訴法」は裁判員制度の導入と共に終わりを告げました。この直前、

 「先生、でもこんな制度で、本当にいいんですか?」

 と性急に尋ねた私に、

 「いいんです。それに僕が作ったようなものは、全部なくしてしまっていい。ゼロから作り直すのがいい。だってあの時だってそうだったんですから」

 とおっしゃられて、頭をぶん殴られたような気持ちになりました。ケタが全然違う、話にならないスケールで悠久せまらざる御姿勢で教えていただいたのが、前回のような骨子だったのです。

 今、新しい刑訴法で新しい裁判員制度が始まるという時、法律家や学者でない、普通の日本国民が誰でも知っているべきこと、否、知らなければならない1の1の常識として、整理していただいた「憲法」と「国憲」に関する交通整理。実際こういう前提の下、80歳の年齢差がある高校生向けにゼミナールも開いていただきました(「團藤重光・高校生のための『裁判員反骨ゼミナール』」)。その大切な内容を、折に触れて復習しているというわけです。

 実は憲法を考える時、もう1つ重要なのは天皇なのですが、前回も今回も公務員の制度について考えたいので、ここには踏み込みません。ただ、美濃部達吉教授直系の(欽定)憲法学から、戦後の日本国憲法にシフトするその瞬間に日本刑事法の全責任を負われた團藤先生が、昨日の軍部の暴走を憎みつつ、新しい憲法の原則として提示された「国民主権」と「三権分立」の必携として、旧刑訴法をお書きになる際の、意識の整理として、あのように考えられた、歴史の証言としても理解していただければと思います。

 團藤先生は「国民」以上に「民衆」という言葉を使われます。民衆からわき上がってくるプラスをすくい取り、マイナスを除去し、一度マイナスと見えたものは、いかにしてプラスに転化してゆくか。極めて一貫した「主体性」の議論があるのですが、これも別の機会に譲りましょう。ともあれ、私は法の専門家ではありませんが、團藤先生による、全国民が理解しておくべき「必携」を前提に、今回は書くようにしています。

憲法以前から役人は役人

 さて、というわけで少し楽屋落ちをお話しましたのは「日本国憲法」がアメリカからやって来た当初、という「常識の源流」に立ち戻って、問題を考えてみたかったからです。

 一応改めて記しておきますが、今日私たちが用いている「日本国憲法」は英語で原文が記されて和訳され、占領軍から戦後政策の「前提」として提示されたもので、その成立の経緯は実は日本側によく分かっていません。その頃に刑事法を作り直していた團藤先生ご本人が「謎です」というくらいで、本当に当初から「憲法ありき」であったわけです(だから「自主憲法制定」という主張をされる人が出てくるわけでもあります)。

 つまり「国民主権」「三権分立」も、昭和20年代になって外からやって来た「原則」で、当時の日本人の生活意識の中に、そのような根っこは生えていなかった。善し悪しでなく、事実として戦後の民主主義は海外からやって来た、当初は借り物として日本に導入されたものだった、これは間違いないと思います。

 ただすぐに補足するなら、明治以降の文明開化のすべて、基本的に舶来の移入物であるし、戦後といってももう65年、現在の日本国民の大半は、生まれた時からこの憲法がある、つまり我々自身がネイティブの民主主義国民であることは間違いありません。

 これと比較して「役人」という言葉はどうでしょう? 第2次世界大戦以前も、いや大正・明治時代も、役人は役人だったはずです。もっと言うなら明治維新以前、役人は「お役人」つまり統治の役目を持った人間、手っ取り早く言えば士農工商の身分制度の下での「武士」であった。「お役人」は庶民より身分が上という時代から、この同じ言葉「役人」が使われ続けている。そんな単純な事実をもう一度ここで確認しておきましょう。つまり、21世紀の今日まで日本の草の根に巣食っている官尊民卑の趨勢には、歴史的な理由があるということです。

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