「明治の男に学ぶ中国古典」

「足るを知る」に騙されていませんか

渋沢栄一を経てグローバル化した『論語』の旅をたどる〈3〉

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2010年5月20日(木)

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 最近、老荘思想が若者の間で流行っている、という記事を目にして「草食系もここまで来たのか」とちょっと驚いたことがあります。今までも「足るを知る」といった言葉を下敷にした書籍の広告を、よくマスコミで目にするなあとは思っていたのですが…。

 しかし、こうした風潮は、危うい面があるのではないかと筆者などは感じています。なぜか、といいますと、そもそも「足るを知る」という考え方は、時々の権力者や強い立場にいる人間に向けた訓戒に他ならないからです。

 この言葉を聞いて、「そうだよな、求めてばかりはいけないな」と感じられる人は、そもそも「もう満足してもいいや」と思えるだけの何かを、すでに持っている人なのです。ちょっと極端な例を使いますと、“派遣切り”にあって、明日眠る家もない人に向かって、

 「足るを知ることが、重要だよ」

 と説いたとします。聞いた人が「そうだよな」と納得するかといいますと、「ふざけるな」と怒って、ぶん殴られるのがオチではないでしょうか。

 要は、この言葉に共感する人が多いというのは、今の日本人がなんだかんだいっても、振り返って満足できる何かを持っている人が多いという証なのです。かつて『清貧の思想』という本が大ベストセラーになりましたが、時あたかもバブル景気の余韻が濃厚に残る1992年。これも、みなが貧しければ「清貧」なんて、流行りようがないという話とまったく同じになるわけです。

 とはいえ、ちょっと考え方を変えれば幸せを感じられるなんて、良い話じゃないか、と思えるかもしれません。しかし、ここには大きな問題があります。まず、いま手にしているものだけで下手に自足しようとすると、結局それを使いつぶして終わってしまうだけになりがち、というのが第一点。

 第二点めは、この言葉を下手に弱い立場の人間が旨としてしまうと、結果的に強い立場の者ばかりが利益を得てしまいがちだ、ということです。

 つまり、一般庶民や、貧しい人たちのなかに「足るを知る」「止まるを知る」を旨とする人が増えていけばいくほど、「持てる者」の立場が安泰になっていくのです。なぜなら、「取って変わってやろう」とか「あいつばかり富や名誉に恵まれるのは許せない」といった庶民の嫉妬心や向上心を緩和してくれる役割を、この教えは果たしてくれるからです。そして、『老子』はまさしくこうした効果を狙った古典でした。

 あまりにも老荘思想の世間的イメージ――白ひげをはやしたお年寄りが大自然に佇むといった――とかけ離れてしまっているので、驚かれる方もいるかもしれません。しかし

《老子の思想は、往々にして弱者を擁護し、敗北者を慰める趣旨と考えられている。しかし、それはまったくの誤解であって、むしろ強者、あるいは強者たらんとする人に対する訓戒を第一義とするものである》『老子入門』楠山春樹 講談社学術文庫

 という指摘もあるように、こと『老子』の立ち位置に関する限り、こうした解釈は研究者の間では特に珍しいものではありません。

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著者プロフィール

守屋 淳(もりや あつし)

1965年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大手書店勤務を経て、現在は中国古 典、主に『孫子』『論語』『老子』『荘子』『三国志』などの知恵を現代にどのように活かすかをテーマとした執筆や企業での研修・講演を行う。著書に『心をほぐす老子・荘子の教え』(日本実業出版社)、『「論語」に帰ろう』(平凡社)、『「勝ち」より「不敗」をめざしなさい』(講談社)、『孫子・戦略・クラウゼヴィッツ―その活用の方程式』(プレジデント社)ほか多数。訳著に『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)。講演CDに『幕末・明治の英傑に学ぶ』(日経BP社)。『渋沢栄一の「論語講義」』守屋淳編訳 平凡社新書。著者ホームページはこちら



このコラムについて

明治の男に学ぶ中国古典

渋沢栄一、秋山真之、岡倉天心ら明治の偉人たちは『論語』『孫子』『老荘思想』などの中国古典を体得し、自らの活動の糧としていました。こういった中国古典が日本にどう定着していったのか、そしてそれらが明治の偉人たちにどう受け入れられ、どのように世界へ広まっていったのかを彼らを軸にして描きます。

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