これまでのあらすじ
ヒノハラの創業者で前社長の日野原五郎から9億円の小切手を手渡された団達也は、当面の資金繰りにメドが立ったことから、ヒノハラの再建に向けて本格的に動き出すことにした。
日豊自動車の社長である松田義一は、アジアで価格競争力のある、低価格のガソリンエンジン車の開発を、専務の湯浅に任せた。
湯浅はコスト削減の要となる購買部のヒアリングから着手した。
購買部長の山田克美は、湯浅に呼ばれ、自身の責任の重さを誇らしく思っていたが、湯浅には別の思惑があった。山田が個人的な立場で、ヒノハラに見込み発注や設備投資を迫るようなことがあったのかどうか、それを知りたいと思っていたのだ。
上海に自身の会社「李団有限公司」を立ち上げたリンダは、達也とASEANを舞台にしたビジネスを展開したいと構想を練っていた。
ヒノハラ研究室
イノベーション。それは単に技術革新を指すのではなく、まったく新しい技術、切り口、見方、組織、活用法を取り入れて新たな価値を生み出し、もって社会に大きな変化を起こすことを指す。とはいえ、その中心は「技術革新」であることはいうまでもない。
歴史をひもとくと、人類を豊かにし、あるいは世界経済が不況のどん底から立ち直るきっかけを作ったのも、技術革新であったことは疑う余地はない。20世紀の経済大国アメリカそして日本を支えてきたのも、自動車産業とそれを核とした経済連関あるいは価値連鎖といっても過言ではない。
そして2008年の金融危機を契機として、電気自動車に注目が集まったことで、世界の自動車産業は再編の兆しを見せている。そのまたとないタイミングで、金子はとんでもない発明を成し遂げたのだ。
金子は真っ黒に塗られたチップ状の製品を手にして、安堵の表情を浮かべた。
「やっと試作品が完成しました」
目は真っ赤に充血していたが、金子は誇らしげに胸を張った。
この数カ月の間、研究室にこもりっきりでろくに自宅にも帰っていないようだ。
達也は三人にこんな話をした。
「いまボクたちが乗っているガソリンエンジン車は、今後確実にハイブリッド、電気自動車、そして燃料電池電気車と変わっていくと思います。HVだけでも十年後は1000万台規模に拡大する可能性があると見込まれています」