「第三企画室、出動す 〜ボスはテスタ・ロッサ」

episode:58
「アーチストがいくらたくさん住みついても、それで動くお金は僅かだ。」

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2010年6月15日(火)

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前回までのあらすじ

老舗 大日本鉄鋼に旭山隆児(あさひやまりゅうじ)が呼び戻され、第三企画室が設置され1年が過ぎようとしていた。独立した新会社オルタナティブ・ゼロでは旭山社長のもとで第三企画室室長 風間麻美(かざまあさみ)、次長 楠原弘毅(くすはらこうき)それぞれの仕事に見通しがつきつつあった。が、本社日枝からの電話は大日本鉄鋼の危機を伝えるものだった。

【登場人物の紹介はepisode:zeroをどうぞ】

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 日曜日だもん。

 風間麻美はベッドから起き上がりながらひとりごとを言う。久しぶりに仕事を完全にオフにした。

 引越荷物は最小限にして、余計なものは千葉の実家に送った。

 黄金町の新居は会社まで徒歩で30分あまり、家賃は安いけれどちょっと狭い。壁ぎわに茶色い段ボールが積み上がっている。今日こそはこれを始末して、部屋らしい白い壁を取り戻すのだ。

 窓を開ければ、天気は上々。だが身体は重い。

 3階から見下ろす大岡川に、ミズスマシのように進む競技用のボートが見えた。川上にある高校のボート部の、たぶんダブルスカル。オリンピックの時に聞いたことのある用語の記憶をたどって説明をつける。

 悪くない。まるでテムズ川みたい。

 行ったことのないロンドンの川、写真で見たそれはもう少し広かったような気がするけれど、そんなことはどうでもよく、ようするに遅い目覚めの時刻の景色として、とても気に入ったということだ。

 視線を手前の歩道に移したその瞬間、地べたに座り込んでいる老人と目があった。

 やば。

 パジャマの前がはだけたままだった。あわてて奥に引っ込んでTシャツに着替える。

 部屋を見渡して呆然とする。引っ越して一週間。まったく片付いていない。しかもその上に脱ぎ捨てた衣服が一週間分散乱している。

 シャワーを浴びる前にゴミを始末だ。ビールの空き缶半ダース分。2リットルのペットボトル。段ボールを3つ潰して紐で縛る。

 身体を動かすと、少しだけファイトが湧いた。面倒な作業だという気持ちを、自分の城を作るのだという前向きな気分が上回っている。そよ風と休日の開放感のおかげだ。

 気持ちよく朝食を摂ることのできる部屋にはなっていなかった。

 とりあえず何か食べに出よう。

 町の探検をする間もなかったが、入れそうな店の候補はチェックしてある。

 出かけるついでにと、ゴミを提げてマンションのゴミ集積所へ向かう。同じ建物の住人らしい女性とすれ違った。

 挨拶のために微笑もうとした瞬間、険しい表情に出くわしてひるんだ。栗色に染めた短い髪はぼさぼさで、開いた襟ぐりから大きくのぞく色白の肩は、不健康なまでに色白に見える。

 幸福な暮らしをしているようには見えない。けれどたくましさを感じた。自分より年上の空気を纏いながら、逆に輪郭はあどけなく、学生でもOLでもない、組織に属していない人だと思った。自分の身体一つで生きている人間。

 ほとんどすべてが露出された長い足の先に引っかかる銀色のミュールが、コツコツと固い音を立てながら遠ざかり、誘惑的な姿がエレベーターホールに消えるのを見送った。

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著者プロフィール

阿川 大樹(あがわ・たいじゅ)

小説家、コラムニスト。1954年、東京生まれ。日本電気(NEC)およびアスキーで半導体LSI開発エンジニアおよび半導体部門事業責任者。1991年より、米国シリコンバレーの半導体ベンチャー企業の設立に参加。1997年、小説家に転身。1999年、サントリーミステリー大賞優秀作品賞。2005年、ダイヤモンド経済小説大賞優秀賞。著書にはシリコンバレーで起業する日本人技術者と巨大資本の闘いを描いた『覇権の標的』、最新刊は『フェイク・ゲーム』。横浜市の元特殊飲食店街・黄金町に仕事場「黄金町ストーリースタジオ」を構え、地域の人と共に、町の再生プロジェクトにも参加している。日本推理作家協会会員。



このコラムについて

第三企画室、出動す 〜ボスはテスタ・ロッサ

「ものづくり」の栄光にも、金融のゲームにも、なりゆきまかせの楽観論にも頼らずに、日本企業の未来を拓く。隣が何をしているのかさえ分からない大組織どうしの思惑が絡み合う巨大な経済の中で、大きな目的を与えられた個人たちに何ができるのか。製鉄会社「大日本鉄鋼」に極秘裏に組織された「第三企画室」が、走り出す。

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