2008年3月、起業のためのビジョンをレポート用紙にひたすら書き綴ったシンガポール行き飛行機に乗る前夜(「最後に“穏やかに”笑うのはメーカーだ」参照)、永守知博は実家で父母と一緒にしゃぶしゃぶを囲んでいた。
「あの時のしゃぶしゃぶ、うまい肉だったのに、しゃべり過ぎて3切れくらいしか食べられなかったのがいまだに心残りなんです・・・」
そんなふうに当時の感慨を語る永守だが、この時、父である永守重信は自分が経営する日本電産のグループ会社に勤めさせていた息子に言った。「そろそろ、出ていったほうがいい」。

「お互いがベストの状態であるための、発展的解消です。要するに、師弟関係から親子関係に戻ったわけです。『もう教えることはないし、起業するならそろそろしたほうがいいんじゃないか』と。“免許皆伝”ですね」
父は言った。「普通以上のキャリアを作りたかったら、普通以上のことをしないとだめだ」。もちろん、その“普通”になること自体が大変だというのが前提である。
「高校もドロップアウトしちゃいけないし、しっかり大学も出ていなければならない。就職活動もして、きちんと仕事をしている人じゃないと、日本では“普通”になれないですよね。さらにその普通以上のことをやろうと思ったら、もうひと手間かけないと・・・」
起業しない理由がなかった
「何か面白いこと、やりぃや」「あんたは恵まれているんだから」。父親も母親も、口を揃えて「起業したら?」と永守に言った。
世間では、起業しようとする人間を引き止め、二の足を踏ませる“3つの反対勢力”があるという。それは、1に親、2に会社、3に妻や恋人だ。1、2、3どれをとっても反対されると確かに弱いところだが、逆にそのどの立場にしても、反対する気持ちは理解できる。
永守はここで1、2を一気にクリアし、3も全く問題なくクリアした。妻は、反対どころか「好きなようにやればいいんじゃない」と応援してくれたほどである。
「当時、たまたま読んだ『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ著、筑摩書房)にずらーっと『起業しない人の言い訳』が書いてあったのですが、どれも自分には当てはまらなかったんです。若過ぎることもないし、年も取り過ぎていない。親は元気だし、子どもはいないし、大きな借金があるわけでもない・・・」
永守自身、「やらない理由が見つからなくなってきた」。さらに、起業のきっかけにしようと思っていた「不景気」の波がそこまで来ていることも、不動産価格の下落から感じ始めていた。
「そろそろだな」と確信した永守は、「来年の4月に、起業しよう」と心を決めた。2008年のことだった。
まず必要なのは、「カネ」と「ヒト」
最初に取り組んだのは、ビジネスプランの策定――ではなかった。「何をやるにしても、まずはカネを集めなければ。ヒトも必要だ」と、永守は行動に移す。
友人や知人など、頭に浮かぶほぼ全員にメールを送った。「『資金を集めているから出してくれないか』と、直球です。あと『人を紹介してほしい』と書きました」(永守)。
ただし、仕事関係で知り合った人は一線を画した。「起業するのに、勤めていた会社から周りの人を引っ張るのは、仁義に反すると思ったので。最初に就職した富士通はもちろん、日本電産の関係者なんて、もってのほかです。そこだけは筋を通して、新たに見つけようと心に決めていました」。
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