渋沢栄一は、設立にかかわった会社が約470社あり、主な所だけを挙げていっても、次のようになります。抄紙会社(のちの王子製紙)、東京海上保険会社(のちの東京海上火災)、日本郵船、東京電灯会社(のちの東京電力)、日本瓦斯会社(のちの東京ガス)、帝国ホテル、札幌麦酒会社(のちのサッポロビール)、日本鉄道会社(のちのJR)…。
さらに、かかわった社会事業は600団体前後あるともいわれ、やはり有名どころを挙げると次のようになります。東京商法会議所(のちの東京商工会議所の前身)や、東京株式取引所(のちの東京証券取引所の前身)、東京市養育院、東京慈恵会、日本赤十字社、聖路加国際病院、一橋大学、神戸大学、早稲田大学、二松学舎大学…。
知れば知るほど、近代屈指の偉人の一人だと思い知らされる活躍ぶりですが、しかし、その割に一般的な知名度はいま一つな面があります。
たとえば筆者が、さる大企業の研修にうかがったさい、こんな経験をしました。渋沢栄一関連のネタを挟みつつ『論語』関連の講義をして、終わった後に懇親会に出席すると、出席者の一人からこう言われたのです。
「いやー、渋沢栄一ってはじめて聞きましたが、すごい人なんですね」
よくよく話をうかがうと、その人は理系畑を歩んでいて、そもそも歴史にほとんど興味がなかったとのこと。確かに、立場を変えて考えてみれば、こちらだって理系の知識は「サイン、コサイン、タンジェントって何だっけ」と思ってしまう程度の理解力しかないので、どっこいどっこいの話なのかもしれませんが…。
しかし、それにしても活躍の度合いに比べて、知名度が低過ぎると思えてならないわけです。一体なぜこうなってしまうのか…。
まず考えられるのは、その名前が冠せられる象徴的、かつ派手な団体や事象に乏しいことがあります。坂本龍馬といえば、「海援隊」に「薩長同盟の仲介」。吉田松陰といえば「松下村塾」。岩崎弥太郎といえば「三菱グループ」。福沢諭吉といえば「学問ノスゝメ」に「慶応義塾」。では、渋沢栄一といえば、「第一国立銀行?」「東京市養育院?」……どうにも渋いし、現在では残っていない名前ばかりなんですね。
一つのストーリーに収まりにくい活躍をしたせい
それともう一つはテレビドラマ、特に大河ドラマで取り上げられていないことが、知名度の低さにつながっているという説もあります。実はこれには大きな理由がありまして――筆者自身も渋沢栄一記念財団の方々に、その理由を教えて頂いたのですが――一言でいえば、
「あまりに多方面に活躍し過ぎていて、伝記を作成しようとしても収拾がつかなかった」
ということになるようです。
実は渋沢栄一には『雨夜譚』(岩波文庫)という自叙伝があるのですが、しかし、これは栄一が大蔵省を辞める時点で終わっていて、肝心の実業人となってからの活躍が記されていないのです。続編を作る動きもあったようですが、残念ながら、完成には至りませんでした。
では、単に資料を駆使して作ればいいじゃないか、という話になるのですが、ここにかかわってくるのが、冒頭に挙げた話。栄一がかかわった企業の数は、約470社。社会団体は600前後。他にもアメリカや中国への親善活動、タゴール、孫文、蒋介石、グラント大統領との交友…。当然、その過程でかかわった人物や事柄、事件は、とんでもない数に膨れ上がっていくわけです。
ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。










