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存亡の危機に瀕した会社を救う“反逆児”

庇護して育てるのは経営トップの役目

2010年8月3日(火)

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 前回は、入社直後から会社のあり方に異を唱え続け、ついには厄介者だらけの“窓際”部署に追いやられた1人の社員が、生地の染色加工業者からメーカーへの業態転換、私が編み出した言葉を使えば、転地を成し遂げた事例を紹介した。

 事例の舞台は、今から121年前の1889(明治22)年に創業したセーレン。相次ぐ不遇に屈せず、福井市に本社を置く老舗オーナー企業を総合繊維メーカーへと変貌させた立役者は、現社長の川田達男氏だった。

 一介の社員でありながら、後の主力事業を立ち上げて、存亡の危機に瀕した会社を救う。こんな離れ業をやってのけた川田氏は、例外中の例外──。

 読者の中にはこう思われた人もいただろう。だが、川田氏は決して例外ではない。同じような立場で転地を成し遂げた人は何人もいる。

 今回は、川田氏と同じ宮仕えのサラリーマンでありながら、転地を実現した人物にスポットライトを当て、彼らの共通点を探ってみたい。

イトーヨーカ堂とキヤノンの転地の立役者

セブン&アイ・ホールディングス会長兼CEOの鈴木敏文氏(写真:大槻 純一)

 川田氏に比肩する転地を実現した人物としてまず念頭に浮かぶのは、セブン&アイ・ホールディングス会長兼CEO(最高経営責任者)の鈴木敏文氏だ。

 1920年に東京・浅草に開業した「羊華堂洋品店」を発祥とする同社の創業以来の主力事業は、総合スーパー(GMS)のイトーヨーカ堂が営むスーパーストア事業である。

 ただし同社には、今や売上高でスーパーストア事業(2010年2月期は2兆165億円)を大きく上回る事業がある。セブンイレブンの店舗名で知られるコンビニエンスストア事業だ。

 フランチャイズ加盟店の売り上げを加えたセブンイレブンの2010年2月期の売上高は2兆7849億円。セブン&アイの営業利益に占めるコンビニ事業の割合は81.1%に達し、同6.3%のスーパーストア事業を圧倒する。このコンビニ事業を始めたのが鈴木氏である。

元キヤノン会長の賀来龍三郎氏(写真:清水 盟貴)

 次に紹介したいのは、日本を代表するグローバル企業のキヤノンで転地を行った人物だ。それは、同社の社長、会長を歴任した賀来龍三郎氏である。

 同社は1969年に社名を変更するまでは、キヤノンカメラと名乗っていた。今でも「IXY」や「EOS」といったブランドで販売しているデジタルカメラの販売は好調だ。しかしカメラはもはや同社の主力事業ではない。

 現在の主力事業は、複写機を中心とする事務機だ。2009年12月期の事務機の売上高は2兆109億円で、全体の62.7%を占めた。事務機の売り上げがカメラを上回るようになったのは1980年代前半のこと。この転地をリードしたのは、その時期に社長を務めていた賀来氏であった。

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「存亡の危機に瀕した会社を救う“反逆児”」の著者

三品 和広

三品 和広(みしな・かずひろ)

神戸大学大学院経営学研究科教授

専攻は経営戦略・経営者論。1989年米ハーバード大学文理大学院企業経済学博士課程修了、同大学経営大学院助教授に就任。北陸先端科学技術大学院大学助教授などを経て、2004年から現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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