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ニュルンベルクの親方と考えるイノべーション

――デューラーに学ぶネットワーク・サイエンス(その2)

2010年8月10日(火)

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(「デューラーに学ぶネットワーク・サイエンス(その1)」から読む)

 読者の皆さんの中には釣りを楽しまれる方も多いと思います。僕は全く心得がないのですが、今日の話をするうえで、海釣りの言葉である「潮目」から入りたいと思いました。

 ネット上の辞書で調べてみたところ

潮目
 早さの違う潮の流れがぶつかり合う場所で、海面上に細長く伸びた筋が見える所。その筋に沿って、藻、木片や泡などが集まり、さざ波がたつことがある。潮境によく見られ、好漁場となることが多い。潮の目。

 と説明がありました。つまり、異なる潮の流れが合流して様々なものが堆積し、またそれを求めて魚なども集まってくるので、格好の漁場になる、というわけです。

 今回は、ドイツの産んだ大画家・版画家そして数学者・幾何学者でもあったアルブレヒト・デューラーの故郷であるニュルンベルクという都市に注目してみたいと思うのです。

 しかし「ニュルンベルク」の名前の起源は「岩山」。欧州大陸のど真ん中、ドイツ中部のニュルンベルクがどうして「潮目」なのか? その答えは「海流」ではなく「物流の潮目」を考えるところにあるのです。

南北グローバル流通の「潮目」都市ニュルンベルク

 早くから繁栄したニュルンベルクは、実は大貿易都市でした。アルプス以北の中欧は長らくローマ帝国の植民地でしたが、ニュルンベルクには北と南から様々な文物が流入したのです。

 南は、地中海沿岸のヴェネツィアから様々な物資が流れ込みました。以前この連載でも触れたようにヴェネツィアは東ローマ帝国文化圏、ないしイスラム圏とも早くから交流が盛んで、先進的な東方文明によってルネッサンスが花開きます。イタリア半島とバルカン半島に挟まれたアドリア海の付け根に当たるヴェネツィアから、東方イスラム世界の製品や原材料はアルプスを越えてオーストリアのザルツブルク、そしてバイエルンのアウグスブルクやニュルンベルクにもたらされました。

 一方、北方は新興の大海運国オランダからもたらされる物資が、南方の市場を目指して流れ込みます。アムステルダムやロッテルダム、デン・ハーグなどの品物がケルン、フランクフルトなどを経由してニュルンベルクにやってきした。

 ちなみに17世紀以降、オランダやイギリスの東インド会社は極東貿易の権益を囲い込み、またアメリカ大陸の物資も到来するようになります。ニュルンベルクの最盛期にはまだこれらの文物は到来していませんでしたが、中世を通じてこの町には、当時の欧州世界で手に入りうるあらゆる物資が流れ込むようになりました。

 各地の文物とノウハウが入ってくる「物流と知識の潮目」には、ほかにないメリットがいくつもあります。北の材料に南のノウハウを適用する。南の素材に北のテクノロジーを応用する・・・ごくごく乱暴に言っても、こんな形でテクノロジーの基幹競争力、コアコンピタンスが生まれやすい土壌があるのは明らかでしょう。

自治権が生んだイノベーションの土壌

 ニュルンベルクの町は11世紀から15世紀にかけて、重要な街道が交差する地域に少しずつ発展していったと考えられています。町は早くから市場の開催権を得ており、当初は東西南北の品物が集まり、取引される場所だったわけです。

 1219年、皇帝フリードリヒ2世によってニュルンベルクは神聖ローマ帝国の「自由都市」となりました。「自由都市」とは、その地方の領主などの支配の下にはなく、神聖ローマ皇帝直属の地位に置かれ、一定以上の範囲で市民が自治権を行使できた町を指します。まだ中世半ばの1200年代初頭から、ニュルンベルクの町は封建領主の支配ではなく、市民の合議によって町の政治が動かされるようになりました。

 やがてこの町は職人の親方たちが参事会員として市政を動かしてゆくようになっていきます。これと並行して、単に各地の品物が流入するだけでなく、そこに付加価値を与える方法が工夫されるようになったのだと考えられています。

 1356年、皇帝カール4世はニュルンベルクで「金印勅書」を公布しました。これによって神聖ローマ帝国の「第一回帝国議会」がニュルンベルクで開かれ、その後1543年まで約200年にわたってこの慣例が続きます。デューラーが生きた15世紀末から16世紀初頭の頃、ニュルンベルクは帝国議会が開かれる、各地から人々が参集する神聖ローマ帝国を代表する自治都市だったわけです。デューラー自身も市政に参画していました。

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