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「非実在老人」と「非実在青年」の対話(その1)

――「性と死」から考える情報化の光と影

2010年8月17日(火)

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 全国各地で「所在不明高齢者」が問題になっています。いわゆる「非実在老人」の問題です。「非実在老人」という表現、言うまでもなくエロ・コミック規制の「非実在青年」からのモジリでネーミングされたものですが、両者をつなげて真面目に論じる話を意外に見ない、とご指摘をいただきました。ツイッターでも、ブレーンストーミングさせていただきました。「エアー老人」と「2次元コンプレックス」という「2つの非実在」に通底する「深層の構造」を追ってみたいと思います。

 キーワードは「バーチャリティ」つまり「仮想的現実感」に基づく「情報化」と見ています。

*  *  *

 事の起こりは東京都足立区にて111歳で健在のはずの男性が30年以上前に死亡しており、自宅の布団に横たわった形の白骨死体で見つかったことでした。

 8月10日、神戸市は、同市内に住民登録されている100歳を超える高齢者847人のうち、1割を超える105人の所在が確認できていないと発表しています。神戸のケースは「1つの自治体で所在不明者が100人を超えたのは初めて」と報道されたものでしたが、北九州市では登録された100歳以上の高齢者487人のうち約4割が民生委員と接触することができなかったとのこと。単純に0.4倍で計算しても約195人が「所在不明高齢者」ということになります。この原稿の最終校正時点では、全国で(少なくとも)281人が所在不明とのことで、各自治体が住民票の削除に着手したとのことでした。

 いったい日本全国でどれほどの数に上るのか? 新聞発表の数字を見るのが恐い気がします。「世界一の長寿国日本」なるイメージが、実は役所への届け出がないために作り出された虚像、蜃気楼であった可能性も疑われ始める始末(厚生労働省によると「実際には平均寿命の計算には影響がない」とのことですが・・・)。

 「個人情報の保護」という壁に守られた内部が腐敗してしまったのか、年金・恩給の不正受給が疑われるケースも続出し、新聞各紙も「実効性ある所在確認の方法を検討すべき」と指摘、日本経済新聞はさらに踏み込んで「死を意図的に隠すようなケースでは行政に刑事告発の義務がある」とまで記しています。

 実際には生きていない老人が、役所の帳簿上だけ存在していて、その安否確認の方法が確保されていない・・・どこにホネが埋まっているか分からないという、まさに都会の砂漠化した実情を示すような話で、地域の崩壊、生活の中で対面の触れ合いがなくなってしまった社会の実情、分断、個室化といった指摘が、各種マスコミにもなされています。

 しかし、しばらく前に親をあの世に見送った経験のある僕には、こういった総論とは別の、もう少し別の観点が気になって仕方ありません。それは「お葬式」です。

エアー老人は成仏できるか?

 役所に死亡の届け出がないということは、お葬式を出すことができない状況を意味します。通夜から告別式、火葬から埋葬の許可まで、通常のお葬式を出すには様々「許可」が必要です。「所在不明老人」のうち、既に亡くなってしまっている人たちは、今この時点でも普通の形でのお葬式は出してもらえておらず、宗教的に考えるなら「成仏できない」状態でさまよっている、とも言えるでしょう。

 エアー老人が「所在不明」である理由には、様々なものがあると思います。その中でも日経新聞が指摘するように「死を意図的に隠す」ようなケースの中には、ご老人の家族親族、息子や娘が含まれている場合もあるでしょう。

 最初に発見された東京都足立区の「(現存すれば)111歳」の方のケースでは「即身成仏する」といって部屋に入ったまま出てこなくなったと家族が説明している、と報道されていました。

 全国各地の「所在不明老人」のケースの中で、仮に、実の息子や娘が「親が亡くなった。でも死亡を届け出ると年金が入ってこなくなる。ここは役所向けには生きていることにしておこう」と考えた人がいるとして、その人の心の内面、どう折り合いをつけていたのか、僕は正直心配になってしまいます。

 「それだけ生活苦がたいへんだったのだ、責める気にはなれない」という意見も目にします。が、僕が言っているのは、責めるとか責めない、あるいは「刑事責任がある」うんぬんではなく、心の問題、つまり「家族の絆」という、この世でも崩壊して久しいかもしれないものが、一生に一度ずつしかないはずの「両親の葬儀」という局面で、どんなふうにフンギリがつけられているのかが、気になるのです。

形骸化、空疎化は心の問題

 ちょっと自分の話をして恐縮なのですが、実は我が家では「親の墓」について混乱した状況があります。父はクリスチャンで教会の共同墓地に入っています。母は浄土宗の戒名をもらいました。両親がバラバラの状況の中で、僕自身が死んだ時には、こんなふうに分骨したら、この一家離散状況は少しは改善されるな・・・なんてことを、母の葬儀の時に考えました。母が亡くなった時、当然、母の年金は来なくなりましたが、僕はたぶん変に頭が保守的なのでしょう、親の葬儀を出さない、なんてことは考えもしませんでした。

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中村 克己 元ルノー副社長、前カルソニックカンセイ会長