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“親分”は得てして“親不孝者”

有事に力を発揮する人材を見極めよ

2010年8月31日(火)

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 逆説的だが、いかにもリーダーらしい人には、転地を成し遂げることは難しい。寿命の尽きた事業立地から新たに成長する事業立地へ乗り換える先導役が務まるのは、典型的なリーダーとは異なる気質を持った人物である──。

 前回前々回の2回にわたって転地を実現した経営者の共通点を探り、こうした結論を導き出した。読者の中には、2回の中で取り上げた計10人の経営者が偶然にそうした気質の持ち主だったのではないかと疑問を抱いた方もおられるかもしれない。あるいは1つの経営者像が先にあって、それに合致する人たちを選んだのではないかと。

 前にも述べたが、私はこれまで1000社を上回る日本企業の戦略について研究してきた。前回までにこのコラムで論じてきたことは、膨大な事例を丹念に調べたうえでのことで、「これは」という事例はほとんど紹介し尽していることを断っておきたい。

 さて、今回は典型的なリーダーには転地を成し得ない傍証として、部下を鼓舞してぐいぐいと引っ張る“親分”肌のリーダーが新事業の立ち上げに取り組んだ場合にどのようなことが起きるのかを論じてみよう。

富士通で“転地”に挑んだ親分

 情報システムやコンピューターなどのハードウエアを主力とする大手電機メーカーの富士通。同社でかつて親分肌のリーダーが“転地”に挑んだことがある。それが結実していれば、富士通は今とは異なる主力事業で世界に冠たる企業になっていたかもしれない。

 “転地”に挑戦したリーダーとは、稲葉清右衛門氏。工作機械をコンピューターで制御するNC(数値制御)装置で世界シェア首位に立つファナックの実質的な創業者である。

 稲葉氏は1946年に東京大学第二工学部精密工学科を卒業し、富士通(当時の社名は富士通信機製造)に入社する。その後、7年近くを茨城県下館市にあった工場で過ごした。

 ところが1953年になって、遠縁に当たる技術担当常務(当時)の尾見半左右氏に東京に呼び戻される。その時に申し渡されたのが次の一言だった(関連記事:【時代のリーダー】稲葉清右衛門・ファナック社長)。

 「今後、富士通は通信機だけでなく、コンピューターとコントロール(制御分野)にも力を入れる。コントロールで何をすれば良いか考えてくれ」

 東京に戻った稲葉氏は、米国でも研究が始まって間もなかったNCに関する米マサチューセッツ工科大学(MIT)のレポートを入手する。それを熟読し、「NCであれば、富士通のコンピューター技術と自分の持つ機械屋としての知識が生かせる」と意を強くした。

 そんな稲葉氏を富士通の当時の経営陣も全面的に支援。1955年にNCの研究が本格的に始まった。同時にコンピューターの責任者に抜擢されたのは、稲葉氏と同期の池田敏雄氏。2人ともこの時、まだ30歳という若さであった。

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「三品和広の日本企業改造論」のバックナンバー

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「“親分”は得てして“親不孝者”」の著者

三品 和広

三品 和広(みしな・かずひろ)

神戸大学大学院経営学研究科教授

専攻は経営戦略・経営者論。1989年米ハーバード大学文理大学院企業経済学博士課程修了、同大学経営大学院助教授に就任。北陸先端科学技術大学院大学助教授などを経て、2004年から現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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牛島 信 弁護士